2009年12月2日(水)わたしの神

いかがお過ごしですか。新所沢教会の長石です。
私たちは生きる上で、必ずしも自分の必要をすべて知っているわけではありません。喉が渇けば水を飲み、疲れたら休みたいという当然の欲求でさえ当てになりません。例えば覚醒剤中毒や薬物依存症などは、それなしでは生きていけないという禁断症状を引き起こし、それを得るためには犯罪さえ起こしかねません。私たちに必要なものとは一体何でしょうか。

使徒パウロは、不自由な牢獄にあって教会からの贈り物を受けた時、お礼の言葉に添えてこう書き送りました。

「わたしの神は、ご自分の栄光の富に応じて、キリスト・イエスによって、あなた方に必要なものをすべて満たして下さいます。」フィリピ4章19節の言葉です。

獄中のパウロにとっては贈り物へのお返しはできませんが、実質的な神の祝福を語ることはできました。神こそが、生きるために必要なすべてを満たして下さる方だからです。パウロはその神と信仰体験から、敢えてフィリピ教会が信じる神を「わたしの神は、あなた方の必要をすべて満たして下さいます」と語りました。

この放送を聴くあなたにも、同じことが起っています。「わたしの神は、あなた方の必要をすべて満たして下さいます。」わたしたちが共通に信じている唯一の神を、「わたしの神」と言えるほどに身近にいてくださる神を信じ、祝福を受けてください。