2010年3月8日(月)もういらない?

いかがお過ごしでしょうか。東京教会の今井献です。
昨年、政権が交代したことにより、11月に市ヶ谷の体育館で事業仕分けが起りました。いつもの散歩コースなのでのぞいてみましたが、必要なのか、無駄なのかという議論を盛んに行っていました。
今、事業仕分けされているものの一つが宗教かもしれません。宗教とは何かを簡単に説明することは難しいのですが、生と死に意味を与えるのが宗教であると私は自分なりに考えています。

一昔前、オウム真理教という間違った宗教が、「ポア」という言葉を使って人を殺したとされています。また、自分の死と引き替えに相手を殺すという自爆テロには、宗教が関係していることが多いようです。日本の神風特攻隊もそのたぐいだろうと思います。宗教改革の時には、カトリックとプロテスタント、プロテスタント同士でも憎んで、殺してしまうということもありました。
しかし、逆に宗教に支えられて、人生の逆境に耐えた、生きる意義を見出したという方も数え切れないほどいるのです。

人を殺すことの善悪、自分が生きたいと思うこと、人の命を救いたいと願うことなど、当たり前と思えることも、なぜそうなのだろうかと、一度考え始めると答えは簡単ではありません。生と死の問題に、人は答を出すことができないのではないでしょうか。答を出すのが宗教であり、答はこの世を超越する神から与えられる外はありません。神の無い人生観、神を否定することで、自分の生と死を納得することができるでしょうか。神なくして、生きることを喜ぶことが果たしてできるのでしょうか。