2010年3月19日(金)死という祝福

いかがお過ごしですか。新所沢教会の長石です。
私たちは死んだらどうなるのしょうか。聖書の教えを要約したウェストミンスター小教理問答37問にはこうあります。

「信者の霊魂は、死の時、全くきよくされ、直ちに栄光に入ります。信者の体は、依然としてキリストに結びつけられたまま、復活まで墓の中で休みます。」

ここには信者にとって死とは、神の祝福に与る通過点であり、それ自体が神の祝福であることが語られています。
つまり、死とは人の目にもある程度判る通り、魂と肉体の分離のことです。まず魂は死によって全くきよくされ、直ちに栄光に入ります。つまりイエスと共にパラダイスに行くのです。そして肉体は「墓の中で休みます」というのですが、これは単に墓地に安置されるということではありません。生きても、死んでも、キリストが覚えていて下さり、キリストに結びつけられた状態にあるということです。

地上の生涯を終えるとき、魂においては死を境に全くきよめられますが、肉体においては時間差があり、新しい復活の体をいただく新天新地の時まで、キリストに結びつけられたまま、神に覚えられた状態で待つことになります。何れにせよ魂と肉体とは、時間差はあっても最後は完全にきよめられ、栄光ある姿によみがえらせられます。信仰者は神と共に歩むことによって、死そのものが永遠の命に入る祝福となるのです。