2010年4月20日(火)御言葉をいただく

いかがお過ごしでしょうか。江古田教会の風間義信です。
随分前になりますが、水力発電のダムを見学したことがあります。勢いよく流れる水の力によって電気を作っていく、驚くほどの迫力です。水は高さの違いがあればあるほど力強く流れます。ですから、時には激しい川の流れをあえてゆるやかにして洪水から守ろうとします。

神の御言葉をいただこうとする時、ゆるやかさを求める必要はありません。こちらが身を低くするほど、たっぷりといただくことが出来るのです。けれども、反対にこちらが高くなってしまう時、祝福をいただくことは出来ません。聖書の一番最初にある創世記の中に、バベルの塔のお話があります。人間が神によって造られ、生かされていることを忘れ、神のところに近づこうと塔を高く高く積み上げていきました。それはまるで自分たちが神のようになろうとするようなもので、神に喜ばれるものではありませんでした。

改めて神のようになろうなどといいますと、とても大げさなことのように思えます。けれども、自分の思い通りにならないといらいらしたり、人や物に八つ当たりしてしまうのは、知らず知らずのうちに神になろうとしているのかもしれません。そのような時にこそ、静まって、しっかりと神の言葉に耳を傾けましょう。身を低くし、静まって御言葉をいただきたいと願うところに、あなたに必要な神の声が届けられることでしょう。