2010年9月27日(月)主よ、いつまでなのでしょう

いかがお過ごしでしょうか。湘南恩寵教会の鈴木牧雄です。
今日も最初に、聖書の言葉に耳を傾けたいと思います。
詩編6編3節からです。

「主よ、憐れんでください
わたしは嘆き悲しんでいます。
主よ、癒してください、わたしの骨は恐れ
わたしの魂は恐れおののいています。
主よ、いつまでなのでしょう。」

人生はいつも順風満帆というわけではありません。暗いトンネルに入ってしまうこともあります。そして、そのトンネルがあまりに長く、いつまでたっても出口が見えないときがあります。
この詩人がそうでした。嘆かずにはおられませんでした。しかし、彼は絶望してはいませんでした。それは、「いつまでなのでしょう」と訴えることのできるお方を知っていたからでした。
「いつまでなのでしょう」。この言葉には、いつまでも光が見えないという嘆きと、しかし、いつか必ず救い出されるという期待とが込もっていますが、詩人にはこの言葉をぶつけることのできるお方がいました。主なる神であられます。

主は、生きるのがつらくなった私たちに心を寄せてくださいます。単なる同情ではありません。詩人がさらに、「主はわたしの嘆きを聞き、主はわたしの祈りを受け入れてくださる。」と歌っているとおり、私たちの祈りをかなえ、再び立ち上がらせてくださいます。真の神であられます。ですから、このお方に祈るなら、必ず光を見出すことができるのです。