2012年5月17日(木)弱さに秘められた祝福

 ごきげんいかがですか。東川口教会の櫻井です。
 ユダヤ人の心理学者であったビクトル・フランクルは、第二次世界大戦中にドイツの強制収容所に入れられ、過酷な囚人生活を送りました。戦後、収容所から解放された彼は、その貴重な体験を多くの人に語り伝えました。そのフランクルはわたしたちのもっている弱さ、また不完全さについて興味深いことを語っています。わたしたちがそれぞれ弱さを持ち、不完全であるからこそ、わたしたちの存在には意味が与えられると彼は言うのです。

 わたしたちは誰かに自分が必要とされるときに、自分の存在の意味を見いだすことができるのです。そしてわたしたちが互いに弱く、不完全な存在であるからこそ、他の人の助けを必要としているのです。もし、わたしたちの誰もが完全な人間であり、誰の助けも必要のない存在であったらどうなるでしょう。そうなると、わたしたちは誰からも必要とされなくなるでしょう。そして誰からも必要とされない孤独な人生を生きることほど耐え難いことはありません。

 イエスが語られたたとえ話の主人公は、自分の人生には自分が持っている財産だけで十分であり、誰の助けも必要としていないと勘違いしていました。その結果、自分の人生を無意味なことに使い、孤独のまま死を迎えます。わたしたちはお互いに不完全で、弱い人間であるからこそ、お互いを必要としているのです。

聖書の言葉
「しかし神は、『愚かな者よ、今夜、お前の命は取り上げられる。お前が用意した物は、いったいだれのものになるのか』と言われた。」ルカによる福音書12章20節です。