2013年5月7日(火)無駄にならない

 ごきげんいかがですか。綱島教会の川杉安美です。
 クリスチャンになると、日曜日に礼拝したり、お祈りをしたり、聖書を読んだりします。あるいは、聖書の教えに従って生活しようとします。その場合たとえば、お祈りで願い事をしても、すぐに応えられないことも少なくありません。あるいは、聖書の教えに従って一生懸命生活すると、かえって苦労が増えてしまうという面もあるかもしれません。
 そうなってくると、せっかくキリスト教信仰を持ったのに、益がない、実りがない、そんなふうに思って、だんだんお祈りや聖書を読むことや聖書の教えに従って生活することに、心が向かなくなっていくことがあります。毎日、一生懸命お祈りしても、何もいいことなどないと思い、無駄なことを続けているのではないかと思ってしまいます。

 けれども、聖書にはこう書いてあります。
「動かされないようにしっかり立ち、主の業に常に励みなさい。主に結ばれているならば自分たちの苦労が決して無駄にならないことを、あなたがたは知っているはずです。」(1コリント15:58)

 わたしたちは、すぐに結果が見えないと、無駄なことをしていると思ってしまうことがあります。しかし、聖書はイエス様を信じているならば、信仰生活、いや人生そのものが無駄にならないと教えます。神様を信じることによって、すべてのことが益となるとさえ教えます。イエス様を信じて、一つも無駄にならず、すべてが益となっていく人生を、お互いに送りたいと願うものです。