2013年6月18日(火)悲しむ人々は幸いである

 いかがお過ごしでしょうか。羽生栄光教会の村田寿和です。

 マタイによる福音書の第5章でイエス様は八つの幸いについて教えられました。イエス様はどのような人々を幸いであると言われたのでしょうか。今日は二つ目の幸いについてお話したいと思います。マタイによる福音書の第5章4節をお読みします。

 「悲しむ人々は、幸いである、その人たちは慰められる。」

 イエス様が「幸いである」と言われる悲しみ、それは、何よりも自分の罪に対する悲しみであります。イエス様は、「自分の罪を悲しむ人々は幸いである」と言われているのです。わたしたち人間には生まれながらに罪があります。わたしたちは、善いことであると分かっていても行うことができず、悪いことであると分かっていてもしてしまう罪があります。そのような「自分の罪を悲しむ人々」を、イエス様は幸いであると言われるのです。

 なぜなら、その人たちは慰められるからであります。「悲しむ人々」が何より「自分の罪を悲しむ人々である」ことが分かるときに、ここでの「慰め」が罪の赦しであることが分かります。神様は、自分の罪を悲しむ人々を、イエス・キリストにあって、赦してくださいます。どうぞ、あなたも自分の罪を悲しみ、イエス・キリストにある罪の赦しにあずかる者となってください。