2013年7月17日(水)神さまの赦しの中で

 いかがお過ごしでいらっしゃいますか。田無教会の安田です。
 ときどき、自分の姿にうんざりすることがあります。

 ひとつの「うんざり」は、自分が本当に悪いことをしてしまったということを知っているのに、素直に認めることができないときにやってきます。これはしょっちゅうあります。そして言い訳をはじめる心が生まれるのは、とても嫌なものです。
 もうひとつの「うんざり」は、ひとが自分に本当に悪いことをしてしまったということを知っていて、でも、素直に赦すことができないときにやってきます。これもしょっちゅうあります。赦せない相手や出来事を、いつまでもぐじぐじと思い起こして、それが頭の中を駆け巡っているのは、とても嫌なものです。
 ひとを赦すことも、自分を赦すことも、難しいことなのだと年を重ねるごとに思います。

 けれども、イエスさまを信じて、イエスさまのお父さまでいらっしゃる天におられる神さまが、わたしのお父さまとなってくださったことを知ってから、赦しということを、少しずつ別の角度から考えるように変えられてきました。赦せないわたしにうんざりすることから、赦されているわたしを喜ぶことから始めよう。
 聖書にこう書いてあるとおりです。「主よ、あなたが罪をすべて心に留められるなら、主よ、誰が耐ええましょう。しかし、赦しはあなたのもとにあり、人はあなたを畏れ敬うのです」(詩編130編3、4節)。天のお父さまに赦されている自分を喜んで、「うんざり」を追い払いながら歩み始めてみませんか。