2013年7月19日(金)神さまの憐れみの中で

 いかがお過ごしでいらっしゃいますか。田無教会の安田です。
 親は、子どものことになると一生懸命になります。子どもが苦しんでいると、親の心は激しく痛み、はらわたがねじれるような思いを味わいます。自分の命を差し出してでも、この子を助けたいとさえ思います。

 イエスさまを信じて、イエスさまのお父さまでいらっしゃる天におられる神さまが、わたしのお父さまとなってくださったことを知ってから、このような心の動きについて、深く教えられるようになりました。
 聖書の中に、イエスさまが憐れまれた、という言い方が出てきます。憐れむ、それは「はらわたが痛む」という意味だと知ったとき、目からウロコが落ちるような気持ちがしました。
 イエスさまは、わたしたちの嘆き悲しみを知られると、それをご自分の嘆き悲しみとなさって、はらわたがねじれる痛みを覚えられる。イエスさまをとおして天のお父さまも。

 そして、天のお父さまは実際に、わたしたちが生きることができるようにと、独り子イエスさまのお命を差し出してくださったのです。それはわたしたちの想像を絶する、本当のお父さまとしての愛です。
 聖書にこう書いてあるとおりです。「神は、独り子を世にお遣わしになりました。その方によって、わたしたちが生きるようになるためです」(ヨハネ4章9節)。天のお父さまが差し出してくださったお命を仰ぐために、わたしたちは日曜日の朝、教会の礼拝にでかけます。あなたもいらっしゃいませんか。