2014年6月23日(月)聞くことは難しい

 いかがお過ごしでいらっしゃいますか。田無教会の安田です。
 馬耳東風。「ちゃんと聞きなさい」と子どもたちを叱りながら、「ああ、自分もちっとも聞いていないなあ」とつくづく思わされることがあります。人の耳は何と都合よくできているのでしょう。皆さんはどうですか。

 ところで、わたしの耳が、他の人に向かって開かれていないとすると、天のお父さまに向かってはどうなのでしょうか。やはり同じです。イエスさまを信じて、神さまの子どもとされていても、お父さまの声に耳を開かず、閉ざしてしまうということがあるのです。
 どのようにしてこの「難しいこと」を乗り越えることができるでしょうか。聖書にこう語られています。「あなたはいけにえも、穀物の供え物も望まず、焼き尽くす供え物も、罪の代償の供え物も求めず、ただ、わたしの耳を開いてくださいました」(詩編40編7節)。

 天のお父さまが、耳を開かないわたしたちにしてくださるお働き。それは、わたしたちに何かを求めるというのではなく、「ただ、耳を開く」ことだ、というのです。「耳を開く」。素敵な言葉ですね。わたしたちの耳が、大きく天のお父さまの声に向かって開かれるなら、そのほかの必要な声に向かっても必ず開かれるでしょう。天のお父さま、どうか今日も、わたしたちの耳を開いてください。