2014年7月24日(木)フラニーとズーイ(1)〜自意識過剰から聖書へ〜

 いかがお過ごしでいらっしゃいますか。田無教会の安田です。
 若い頃に出会った、忘れられない作家は誰ですかと尋ねられたら、サリンジャーと答えます。『フラニーとゾーイー』です。今年3月に村上春樹訳で『フラニーとズーイ』と題名も新しくなって出版されました。

 フラニーは妹で、ズーイは兄です。大学生のフラニーは、何もかも嫌になっています。周りを取り囲んでいる人間は誰もが、俗物だと思っています。付き合っている彼氏も、友達も、大学の教授も…。物語が進んでいく中で明らかになるのですが、イエス・キリストも、です。そしてフラニーは、ついに倒れて、家に帰ってきます。
 絶え間なく神の名を口ずさんで祈っていると、やがて祈りの言葉が心臓の鼓動と連結して動き始め、神秘的な効果を及ぼす。フラニーが最後に読んでいた本です。
 そういうフラニーに、兄のズーイが、こう語りかける場面が出てきます。「イエスを頭に描き、彼だけを思い浮かべて、お祈りは口にされなくちゃならない。そして彼の姿は、おまえがこうあってほしいと思う彼の姿じゃなく、ありのままのものじゃなくちゃならない」。

 自意識過剰で、自分のことばかり考えていたわたしは、激しく揺さぶられました。こうあってほしいと思うようにではなく、イエスさまが「聖書はわたしについて証しをするものだ」(ヨハネ5:39)と言われた聖書を読んで、イエスさまを知らなければならない。信仰への旅立ちが始まった日でした。