2015年9月29日(火) 私の中にある傾き

 いかがお過ごしでいらっしゃいますか。田無教会の安田直人です。
 小学生の息子と一緒に読んでいる『子どもと親のカテキズム』という小さな本のことをお話ししています。イエス様を知るための97の問いと答えが、小さな子どもにも分かる言葉で書かれています。

 今日は、21番目の問いについてお話ししましょう。こういう問いです。「罪を犯した人間はどのようになりましたか」。答えの最初は、こうです。「人間は生まれながら悪へとかたむく罪人になってしまいました」。 

 人間には、私には、「かたむき」があるんだ。思わず、考えさせられる言葉です。すべり台の途中にボールを置いたら、必ずどんどんスピードを増して、走り出します。もし、短くて傾き=角度の大きいすべり台なら、スピードは早くなります。逆に長くて傾き=角度の小さいすべり台なら、どうでしょうか。やはりボールはころがっていき、最後にはスピードも早くなります。

 自分という人間は、ニュートラルじゃない。問題と出会ったとき、いつも、ゼロから判断できるのでもない。傾きを持っているのだ。聖書は、そのように語るのです。そして傾きがあることを知っているなら、私たちはこう考えることができます。傾きがあることを、少し補正して考えなければ。あの人この人と向き合うとき、語り合うとき。そして探し始めるのではないでしょうか。傾きをなくす道はないか、と。

 聖書を読んでみませんか。聖書には、その答えがあります。