2016年8月23日(火) 救いの希望 けちな神様?

 おはようございます。川越教会の木村香です。
 神様はわたしたちの生活を見て、心を見て、救いをお決めになります。何だ、救いが必要だとしても、わたしたちを見て決めるなんて、ケチな事しないで、全員を救ってくれればいいじゃないか。
 それは、大変都合のいい考え方ですけれど、そうはいきません。

 神様はすべての人間を無条件に救うことはできません。全能の神様にもできないことがあるんですね。罪を犯すこと。御自分を否定すること、つまりわたしは神ではない、と言うことなどです。そして、罪を犯している、悪いことをしている人間をそのままで赦すこともおできになりません。
 神様の正義が曲げられているのに、それを不問のままで済ませることはできません。求められるのは悔い改め、平たく言えば、神様に「わたしは間違っていました、ごめんなさい」と申し上げることが必要です。

 イエス様が伝道を始められたときの第一声は、「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」でした(マルコ1:15)。
 天国がすぐそこまで来ている。わたしたちの態度をはっきりさせないといけないときが来ている。悔い改めて福音を信じなさい、と言っておられるのです。

 それですから、わたしのような者でも一所懸命にお話ししています。救いを伝えています。聖書があり、教会があるのもそのためです。
 どうぞ、耳を傾けてください。また御自身のことについて考えていただきたい、と心から願います。