2017年9月17日(日) いのちのパンであるイエス

 いかがお過ごしでいらっしゃいますか。南越谷コイノニア教会の黒川豪です。はじめて「あさのことば」を担当させていただきます。どうぞよろしくお願いいたします。

 さて、わたしたち人間は、時にとてもお腹が減る、ということがあると思います。わたしたち人間は、同じように、魂の空腹を覚えるということがあると思います。それは、どんなに目の前に食べ物がたくさんあっても、どんなに物質的な物をたくさん持っていても、たくさんのことを成し遂げても、多くの人の称賛を浴びても、満たされることのない、深い魂の飢え渇きです。

 主イエスは、ヨハネによる福音書6章35節で次のように語っておられます。
 「わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。」

 「わたしが命のパンである」という主イエスの御言葉は、「わたしはある」という言葉を「命のパン」という言葉で説明しています。そして主イエスが「わたしはある」とお語りになるとき、わたしは主なる神である、全能の神であると語っておられるのと同じことなのです。主イエスは、主なる神、全能の神としてわたしたちにとって、命のパンとなってくださる方です。ですからわたしたちが主イエスの許に行き、主イエスを信じるとき、わたしたちの魂の深い飢え渇きは必ず癒されるのです。