2018年8月7日(火)その苦しみに答えはあるか

 おはようございます。綱島教会の小宮山裕一です。

 ある人が大きな苦しみを体験します。その人も、周りの人もなぜあの人がこんな目にあうのか、考えることがあります。あの人はこんな悪いことをしたから罰が当たったのだ。こう考える人もいるでしょう。この世界には無駄なことは何一つない。この苦しみの中にもきっと良いことがあるはずだ。
 これらに共通していることは、その苦しみの意味を問うという姿勢です。私達は知性を用いてその因果関係を考察することができますので、それ自体は当然です。しかし、こうした考察の結果、たとえその答えに納得したとしても苦しみが解決するとは限りません。しかし、人間は考えずにはいられません。

 旧約聖書にヨブという人がいます。この人は満ち足りた人生をおくっていましたが、ある日突然、苦しみの中に放り込まれます。ヨブも、友人達も苦しみの意味を問うのですが、なかなか答えがでません。そのようなヨブは結局、苦しみの原因を見つけることはできませんでした。

 しかし、ヨブは苦しみの中で神に対してこのように言いました。
 「しかし今、この目であなたを仰ぎ見ます。」(ヨブ42:5)
 ヨブは苦しみについて考えたのですが、その先には生ける神との出会いがありました。そしてヨブはここに苦しみの解決以上のものを見いだしました。

 ヨブ記という書物は、苦しみに意味を問わずにはいられない私達に問うのです。苦しみの意味以上に、私達が見つめるものは何か、と。