2008年2月1日(金)愛とは

おはようございます。仙台カナン教会の吉岡です。今朝は「愛」について考えてみたいと思います。

私は、聖書が語る愛を初めて知ったときに、衝撃を受けました。それはあまりにも私がそれまで考えていた愛とは違っていたからです。私はそれまで、愛というものは、何か甘いケーキの様なもの、甘く柔らかくて、ふんわりとしていて、ピンク色をしているような、そんなスイートなものだと思っていました。
けれども聖書の愛の語り方は、「愛は忍耐強い。」という言葉に始まって、「すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。」で終わっているのです。そこにはスイートのかけらもありません。忍耐する、信じる、望みを持って耐える、と言われているこれらの言葉が前提としていますことは、そこには耐えなければならないような痛みがあり、忍ばなければならない困難があるということです。

そして実際に、痛みがあり困難があるところに、愛の始まりがあります。イエス・キリストの十字架には、全くスイートのかけらもありませんでした。それは痛みと苦悩に満ちたものでした。しかし、そこにこそ、私たちへの、神様による、血を流すほどの命がけの愛が、強烈に表れているのです。愛とは、この主イエス・キリストの十字架のことです。