2008年2月8日(金)死とは

おはようございます。仙台カナン教会の吉岡です。
人が死ぬということは、自然の摂理だと言われますけれども、そうではないと言うことが、聖書に書いてあります。

私には一歳になる娘がいますが、けれどもぞっとするような事実なのですけれども、死が自然の摂理なら、遅かれ速かれ娘もやがては死んでしまいます。それを思うと、私はとても腹が立ちます。

そして実は神様も一緒、そう思って腹を立ててくださっています。

聖書を見ると、命は、もともと永遠に続くものとして、人間に与えられました。けれども人間は罪を犯して、死を招きました。人間が死ぬようになったのはその時からです。それは初めからはなかったこと、あとから出てきた異常なことでした。聖書には、たくさんのことが書かれていますけれども、この聖書に書かれていることの一番の中心は、神様からの、私たちへの、「生きよ」というメッセージです。キリスト教の救いとは、人生成功の秘訣とは違います。その中心は命です。死ぬようになってしまった人間が、もう一度死なないようになる。肉体は死んでも、神様から霊的な命をいただいて、それで永遠に生きる者に変えられる、この死を超えた命こそが、キリスト教の救いです。