2011年4月23日(土)犠牲を払う愛

 いかがお過ごしでしょうか。仙台教会の吉田です。
 わたしは子供の頃、いろいろ悪さをしました。今ではちょっと考えられないことですが、石を投げるのが好きで、よくよその家のガラスを割りました。母はそのたびに謝りに行きました。何枚も弁償してくれました。子どもが知らない所で、親はいったいどれほどの犠牲を払っていることでしょう。

 聖書にこんな言葉があります。「わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります」。

 わたしたちの悪い言葉や行い、心の中にある悪い思い、それを罪と言います。そのような罪は罰を受けねばなりません。天罰を受けなければすまされないと聖書は書いています。けれども、神様は何一つ償うことのできないわたしたちのために御自分で償いをしてくださったと言うのです。愛する独り子をわたしたちの代わりに罰する事で、わたしたちを赦してくださったというのです。皆さん、これがイエス・キリストの十字架です。そしてこれが、神の愛なのです。