2011年12月17日(土)田舎の救い主

 いかがお過ごしでしょうか。仙台教会の吉田です。

 わたしは学生時代に仙台に来て、洗礼を受け、キリスト者になりました。ですから、東北はわたしの魂のふるさとなのです。実際、もう人生の半分以上を東北で過ごしています。けれども、残念ながら、いまだにわたしのことを「東北人」と言ってくれる人はいません。ここが生まれ育った場所ではないからでしょう。

 イエスは「ナザレ人」と呼ばれました。生まれたのはベツレヘムという町でしたが、育ったのはナザレというパレスチナの田舎だったからです。天から来られた神の御子であるにもかかわらず、ナザレ弁を話す田舎の人間として育ったのです。「ナザレから何か良いものが出るだろうか」と言われるほど、何の取りえもない小さな村でした。そこで、イエスは幼い日々を過ごし、村人たちと苦楽を共にされました。

 神の救いは、すべての人のためにあります。都会であれ田舎であれ、どこにいても神の救いは及びます。どんなに山の中であろうと、どんなにさびれた場所であろうと、主イエスは今日もあなたと共にいてくださいます。