2013年1月19日(土)ケセン語と聖霊の実

 おはようございます。泉区山の寺にある仙台めぐみ教会の魚本です。

 ケセン語と聖霊の実

 水道も電気も鏡でさえもないパプア・ニュー・ギニアの村の人が、写真を見せられると、「この人はわかる。この人はわかる。でもこの人はだーれー。」と自分を指して言うそうです。

 人間の心が鮮明に写されているところは聖書です。
 ガラテヤの信徒への手紙に、造り主である聖霊様を悲しませる人間のありのままの姿が描かれています。
 「肉の業は明らかです…姦淫、わいせつ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、怒り、利己心、不和、仲間争い、ねたみ、泥酔、酒宴」(5:19-21)であるとあります。
 しかし、聖霊様が結ぶ実は「愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です。」(5:22-23)とあります。これが造り主の本性です。

 見えない造り主が分かるために、その一人息子キリストが天から遣わされたのです。
 ケセン語訳聖書のCDの「ヨハネによる福音書」の1章に、キリストが世に紹介される場面があります。

「優すくて、親切で、こぼれるほどに愛嬌ァ 良い、このお方がら 俺等ァ、恵みの上にも更なる恵み、背負っても 起ぎらィねァくれァ 貰ァ申すた。」(ヨハネ1:16)
 「人の世の過ちィ 取払う 神様の子っこ羊」キリストを受け入れませんか。ありがとうございます。