2017年11月18日(土) イエスとは、どういう方なのか(3)

 お早うございます。お元気でしたか。仙台教会の元牧師、首藤正治です。
 今朝はマタイによる福音書3章から、主イエスがヨハネから洗礼を受けられた意味についてお話しします。

 イスラエルには旧約時代に、罪を清める儀式、贖罪の日というのがありました。新約時代のヨハネのように、罪を告白し、洗礼を受けるという儀式は、このヨハネからでした。
 だから主イエスも、このヨハネから洗礼を受けられました。でもその時、ヨハネはイエスのことを「世の罪を取り除く神の子羊」と信じていましたので、一度はお断りしました。

 その通りですね。罪を告白し、罪の清めの洗礼を受けるのは、神の子イエスではなく、私たちの方ですね。

 ところが当時のイスラエルの民は貧しく、苦しい生活のために、やや不信仰になっていましたので、主イエスはそれを心に留められて、憐みと慈しみの心から、神の民の模範として受けられたのでした。

 このように、主イエスはすべてにおいて師であり、導き手であられるのです。この主イエスの御言葉と御業とを知りたいと思いませんか?