2005年5月5日(木)「神の計画と導きの中で」 マタイによる福音書 2章13節〜23節

 新約聖書を読むときによく出くわすのは、旧約聖書からの引用の言葉です。特に「これこれが起ったのは、預言者誰それを通して言われたことが成就するためであった」という言葉は、きょうこれからお読みする個所に繰り返し出てきます。歴史を「神の預言と成就」と言う視点から見るのは、聖書独特の歴史観です。それはただ単に、はるか昔に言われたことを、ある日思い出したように発見し、そこに意味を見出すというのとは違います。それはどの時代にあっても神の言葉を信じ、歴史の中に神の働きを絶えず見出そうとする信仰なのです。

 それでは早速今日の聖書の個所をお読みしましょう。きょうの聖書の個所は新約聖書マタイによる福音書 2章13節から23節です。新共同訳聖書でお読みいたします。

 占星術の学者たちが帰って行くと、主の天使が夢でヨセフに現れて言った。「起きて、子供とその母親を連れて、エジプトに逃げ、わたしが告げるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデが、この子を探し出して殺そうとしている。」ヨセフは起きて、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトへ去り、ヘロデが死ぬまでそこにいた。それは、「わたしは、エジプトからわたしの子を呼び出した」と、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。

 さて、ヘロデは占星術の学者たちにだまされたと知って、大いに怒った。そして、人を送り、学者たちに確かめておいた時期に基づいて、ベツレヘムとその周辺一帯にいた二歳以下の男の子を、一人残らず殺させた。こうして、預言者エレミヤを通して言われていたことが実現した。

 「ラマで声が聞こえた。激しく嘆き悲しむ声だ。ラケルは子供たちのことで泣き、慰めてもらおうともしない、子供たちがもういないから。」

 ヘロデが死ぬと、主の天使がエジプトにいるヨセフに夢で現れて、言った。「起きて、子供とその母親を連れ、イスラエルの地に行きなさい。この子の命をねらっていた者どもは、死んでしまった。」そこで、ヨセフは起きて、幼子とその母を連れて、イスラエルの地へ帰って来た。しかし、アルケラオが父ヘロデの跡を継いでユダヤを支配していると聞き、そこに行くことを恐れた。ところが、夢でお告げがあったので、ガリラヤ地方に引きこもり、ナザレという町に行って住んだ。「彼はナザレの人と呼ばれる」と、預言者たちを通して言われていたことが実現するためであった。

 少し長い個所でしたが、ベツレヘムで生まれた幼子イエスがエジプトでの隠遁生活を経てナザレの町に定着する様子がここには描かれています。そして、幼子イエスの上に起った一つ一つの出来事を旧約聖書で語られた神の言葉と結びつけて捉えています。

 すでに、2章の前半でイエスが何故ベツレヘムで生まれたのかと言うことについて、預言者の言葉が引用され、その預言の言葉の成就としてイエス誕生の出来事が記されました。

 そのベツレヘムで生まれたイエスが、どのような経緯をたどってナザレに移り住むようになったのか、マタイ福音書は同じように旧約聖書の預言者の言葉を引用して出来事を記します。

 確かに表面上起っていることは、ベツレヘムからエジプトへの逃避であり、エジプトからナザレへの帰還です。そして、それらが起った表面上の理由は、ヘロデ大王がもたらした幼子イエスへの迫害でした。ヘロデ大王がイエスを虐殺しようとしたことが原因で、幼子イエスを抱えたヨセフの一家は難を逃れてエジプトへ避難し、その危険がなくなると、エジプトからナザレへと移り住んできたのです。

 しかし、マタイ福音書はそのような出来事の中に、預言を通して語られた神の御手の導きを読み取ったのです。

 起った出来事に目を留めると、それはとても残虐な事件で始まります。占星術の学者たちから「ユダヤに新しい王が生まれた」と知らされたヘロデ大王は、ベツレヘムで生まれた2歳以下の男の子をみな虐殺するようにと命じたのです。1歳未満ではなく2歳以下としたのは、ヘロデ大王の残忍な性格のためであったかもしれません。あるいは、占星術の学者たちが尋ねてきた時点で、既に1、2年経っていたのかもしれません。どちらにしても、ヘロデ大王のしたことは赦されない非人道的な事件です。

 このようなヘロデの仕打ちに、幼子イエスを抱えたヨセフの一家は逃げるより他はなかったのです。神は何をしておられたのかと怒りが込み上げてくるかもしれません。しかし、マタイ福音書はそこに人知をはるかに超えた神の歴史への介入を信じて出来事全体を預言の言葉に照らして理解しようとしているのです。

 ところで、このヘロデによる幼児虐殺事件をこの世の歴史の中で見ようとすると、実はこのマタイ福音書以外にはどこにもこの事件は記されていないのです。そこでこの出来事をフィクションではないかと思う人もいるくらいです。確かに、マタイ福音書だけがこの事件を記していると言うのは事実です。考えても見れば、この世の歴史家にとっては、ユダヤの田舎で起った、せいぜい百名にも満たない幼児虐殺事件は、歴史に記すに価しなかったのかもしれません。

 そう思うと、マタイ福音書がこの事件のことを記しているのはとても貴重なことです。マタイ福音書はこの世の歴史が目にも留めないことを記録し、しかも、このような残虐で悲しい事件を、神の言葉の中で受け止めているのです。

 さて、ヨセフ一家が逃げていった先はエジプトでした。何故エジプトだったのか、マタイ福音書は旧約聖書ホセア書11章1節をします。

 「わたしは、エジプトからわたしの子を呼び出した」

 この言葉は、直接には、イスラエル民族のことに言及した言葉です。かつて、神はモーセを通してご自分の民であるイスラエルをエジプトでの苦難から救い出されました。

 マタイによる福音書は、イエスがエジプトに下り、そこから再び戻ってくる道のりを、かつてのイスラエルの歴史に重ね合わせて理解しているのです。いわば、イエスの身において、神はイスラエルに対する救いを再現しているのです。

 出来事を表面から見れば、圧制者の迫害を逃れてエジプトに下ったイエスですが、しかし、このイエスの上に、神はかつてイスラエル民族になした救いの御業を再現し、このイエスを通して人々の救いの御業を成し遂げられようとしているのです。