2008年10月9日(木)12歳の少年イエス(ルカ2:41-52)

ご機嫌いかがですか。キリスト改革派教会提供あすへの窓。「聖書を開こう」の時間です。今週もご一緒に聖書のみことばを味わいましょう。木曜日のこの時間は、キリスト改革派教会牧師の山下正雄が担当いたします。どうぞよろしくお願いします。

どんな偉人の伝記でも、その人の残した偉大な業績もさることながら、その人がどんな幼少期を過ごしたのかというくだりは興味をそそるものです。
ところが、イエス・キリストがどんな子供時代を過ごしたのかということは、ほとんど知られていません。四つある福音書の中でただ一つ、ルカによる福音書だけが12歳のときのイエスのエピソードを一つ伝えているだけです。

それでは早速今日の聖書の個所をお読みしましょう。きょうの聖書の個所は新約聖書ルカによる福音書 2章41節〜52節までです。新共同訳聖書でお読みいたします。

さて、両親は過越祭には毎年エルサレムへ旅をした。イエスが12歳になったときも、両親は祭りの慣習に従って都に上った。祭りの期間が終わって帰路についたとき、少年イエスはエルサレムに残っておられたが、両親はそれに気づかなかった。イエスが道連れの中にいるものと思い、一日分の道のりを行ってしまい、それから、親類や知人の間を捜し回ったが、見つからなかったので、捜しながらエルサレムに引き返した。三日の後、イエスが神殿の境内で学者たちの真ん中に座り、話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた。聞いている人は皆、イエスの賢い受け答えに驚いていた。両親はイエスを見て驚き、母が言った。「なぜこんなことをしてくれたのです。御覧なさい。お父さんもわたしも心配して捜していたのです。」すると、イエスは言われた。「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか。」しかし、両親にはイエスの言葉の意味が分からなかった。それから、イエスは一緒に下って行き、ナザレに帰り、両親に仕えてお暮らしになった。母はこれらのことをすべて心に納めていた。イエスは知恵が増し、背丈も伸び、神と人とに愛された。

きょうの箇所は子供のころのイエスを描いたルカ福音書独自の記事です。この記事の後、およそ30歳になってヨルダン川で洗礼者ヨハネから洗礼を受けるまでの期間、どの福音書にもイエスについての記事はありません。
きょうの箇所はたった一つだけ後世に伝えられたイエスの少年時代のエピソードですが、それはイエスがどういうお方であるのかということを明らかに示している箇所です。と同時に、それはご自分がどういう存在であるのかというイエス自身の自己意識を物語る記事でもあります。そしてそれはまた、イエスの両親にとっては意味の理解できない出来事でもありました。

12歳という年齢は今の日本ではまだ小学校6年生ぐらいの子供ですが、イエスの時代より少し後の時代のユダヤではいわゆる成人と見なされる年齢でした。正確には男子が13歳、女子が12歳に達すると大人の仲間入りをする年齢です。また誓った言葉について責任を求められるのも13歳になってからといわれています。
12歳のイエスというのは正にその年齢に差し掛かった頃のイエスです。

イエスの両親は毎年過越の祭りにはエルサレムへ旅をしたとあります。神の教えに従順なヨセフとマリアの姿は、すでに産後の清めのために律法に従って神殿での儀式に与った記事に表れていますが、ここでもまたその従順な姿が描かれます。
旧約聖書の教えでは成人男子は年に3回、祭りのために主の前に集うことが義務付けられていました(申命記16:16)。もっともイエスの時代のユダヤ人たちは、カナンに定着した頃よりも遠い地域に離散した人々もいましたので、すべてのユダヤ人がこの規定を文字通りに守ることはできませんでした。年に一度過越の祭りにエルサレムに集うということだけでも十分に敬虔な信仰をもった家族でした。しかも、律法がこの義務を求めているのは成人した男子でしたから、この務めは女性には必ずしも求められていたわけではありません。しかし、イエスの両親は毎年、夫婦そろってこの勤めを果たしていたのです。
そのような神を畏れ、神の教えに忠実に従う家庭に育まれて、イエス・キリストは12年間の歩みを続けてこられてのです。

イエス・キリストが両親に伴われてエルサレムを訪問するのは、この時が初めてだったのか、それとも毎年両親と一緒にエルサレムにきていたのかは、福音書には記されていません。しかし、事件が起ったのはこれが初めてのことでした。
その事件というのはこう言うことでした。エルサレム巡礼の帰りに、ふと気がつくと少年イエスの姿が見当たらないのです。しかも既に1日の距離を歩いてきてしまった時でした。
ナザレからエルサレムまでの道のりは120キロ以上もありました。通常3、4日かけてこの道のりを歩んだそうですから、相当な距離を進んできてしまったことになります。そこまでに気がつかなかったのは随分と暢気な夫婦のように思われますが、たいてい巡礼の旅は大人数でするものですから、しかも、大抵は周りには気心知れた同じ町や村の人たちも一緒ですから、最初はそれほど心配にも思っていなかったのでしょう。
大慌てでエルサレムに引き返すヨセフとマリアでしたが、3日の後にやっと神殿にいる息子イエスを発見します。しかも、神殿の境内で律法の専門家たちの真中に座って話を聞いたり質問したりしている息子イエスの姿です。

もちろん、ここではイエスが律法学者たちを教えていたのではなく、律法学者たちの真中に座って律法を学ぶイエスの姿です。イエスの両親が律法に従順であるように、その子供であるイエスもまた律法に学ぶ人として描かれているのです。しかし、そればかりではありません。しかも、その受け答えの賢さに、聞いている者たちがみな驚嘆するほどであったと記されています。
生まれてくるイエスとはどのようなお方であるのか、ということは、既に天使ガブリエルによってマリアに伝えられていました。またシメオンを通して幼子イエスの将来についても預言されて来ました。それを聴いているイエスの両親も、また、この福音書を通して、すでにイエスとはいかなるお方であるかということを学んできているわたしたちですが、ここで初めてその一端を垣間見ることになるのです。それはもはや布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている赤ん坊のイエス・キリストではありません。少年になったイエスというだけでもありません。神の御心である律法についての深い知識と洞察力を持ったイエスの姿を見るのです。

いえ、イエスの両親を驚かせたことは、そればかりではありません。心配で心が動揺する母マリアにイエスは言いました。

「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか。」

この言葉の意味はイエスの両親には理解できなかったとルカ福音書は報告しています。しかし、この言葉こそ、わたしたちが耳にするイエスのはじめての言葉であり、しかも、ご自分が神の子であるという深い自己意識を言い表した言葉でもあるのです。
けれども神殿を父の家と呼ぶほどに神の子である意識をはっきりともったイエスですが、このあと公に姿をあらわすまでおよそ18年間、ナザレで両親に仕えて生活を送られたのです。