2012年2月2日(木)偽教師に対する警戒(ローマ16:17-27)

 ご機嫌いかがですか。キリスト改革派教会がお送りする「聖書を開こう」の時間です。今週もご一緒に聖書のみことばを味わいましょう。この時間は、キリスト改革派教会牧師の山下正雄が担当いたします。どうぞよろしくお願いします。

 教会の中にもトラブルが起こるということを聞くと少し残念な気持ちになってしまいます。しかし、罪深い人間がキリスト者になったからと言って、一瞬にして清い完全な人間に変わるわけではないことを思うと、人間の弱さのために起こる教会内のトラブルに対しては寛大な気持ちになることができます。
 しかし、間違った宗教的な確信に固執するあまり、教会の一致を揺るがすようなことを主張するともなれば、それに対していつまでも寛大な気持ちで接してばかりはいられません。おそらく教会で起こるトラブルの中で一番厄介なのは、ほんとうは間違っていることなのに、それを正しいことと確信して一歩も譲らないことから起こるトラブルです。そうしたことは教会の内部からも起こりますし、また教会の外から入り込んでくるということもあります。
 パウロは手紙を締めくくるにあたって、間違った教えを確信に満ちて教会に持ちこもうとする人々への警戒を呼びかけてます。

 それでは早速今日の聖書の個所をお読みしましょう。きょうの聖書の個所は新約聖書ローマの信徒への手紙 16章17節〜27節までです。新共同訳聖書でお読みいたします。

 兄弟たち、あなたがたに勧めます。あなたがたの学んだ教えに反して、不和やつまずきをもたらす人々を警戒しなさい。彼らから遠ざかりなさい。こういう人々は、わたしたちの主であるキリストに仕えないで、自分の腹に仕えている。そして、うまい言葉やへつらいの言葉によって純朴な人々の心を欺いているのです。あなたがたの従順は皆に知られています。だから、わたしはあなたがたのことを喜んでいます。なおその上、善にさとく、悪には疎くあることを望みます。平和の源である神は間もなく、サタンをあなたがたの足の下で打ち砕かれるでしょう。わたしたちの主イエスの恵みが、あなたがたと共にあるように。
 わたしの協力者テモテ、また同胞のルキオ、ヤソン、ソシパトロがあなたがたによろしくと言っています。この手紙を筆記したわたしテルティオが、キリストに結ばれている者として、あなたがたに挨拶いたします。わたしとこちらの教会全体が世話になっている家の主人ガイオが、よろしくとのことです。市の経理係エラストと兄弟のクアルトが、よろしくと言っています。神は、わたしの福音すなわちイエス・キリストについての宣教によって、あなたがたを強めることがおできになります。この福音は、世々にわたって隠されていた、秘められた計画を啓示するものです。その計画は今や現されて、永遠の神の命令のままに、預言者たちの書き物を通して、信仰による従順に導くため、すべての異邦人に知られるようになりました。この知恵ある唯一の神に、イエス・キリストを通して栄光が世々限りなくありますように、アーメン。

 ローマの信徒への手紙の学びもきょうで最後の回となりました。少し駆け足でしたが、今まで四十六回に分けて、手紙全体を学んできました。きょう取り上げた個所は、この手紙の最後の結びの言葉です。
 いよいよ手紙を結ぶにあたって、パウロは間違った教えを持ちこもうとしている人々に対する警戒を呼び掛けています。なぜ手紙のこのタイミングで、このことに触れなければならないのか、少し唐突な印象を受けるかもしれません。
 16章全体は、ケンクレアイの婦人奉仕者フェベをローマの教会に紹介したあと、ローマにいる知人たちへのパウロの個人的な挨拶の言葉があり、そのあとパウロと共にいる人たちからの挨拶の言葉をそのまま記して手紙を結んだなら、すっきりとした手紙の終わり方になります。
 しかし、どういう意図があってこのタイミングにこの事を書き記したのかは分かりませんが、パウロはローマの教会の人々への挨拶のことばに引き続いて、偽教師への警戒を呼び掛けています。もっとも「偽教師」という言葉を彼らの呼び名として使いましたが、彼らが教師を自称していたのか、それともただ一信徒であったのかは、明らかではありません。パウロは彼らを偽教師とは呼んでいませんが、ただ、無視できない影響力をもつ人たちのようですから、偽教師と呼ぶにふさわしい人たちであったことでしょう。

 パウロによれば、彼らは教会に「不和やつまずき」をもたらしたようです。教会の中に「不和やつまずき」が起こる原因は様々あるでしょうけれども、彼らの場合の一番の問題点は、使徒たちの教えに反しているという点です。その場合、使徒たちの教えに反したことをこのように吹聴して回るのは、決してうっかりした勘違いや勉強不足といった単純な間違いや人間的な弱さから出ているものではないでしょう。むしろ、使徒たちの教えに反することを自覚したうえで、あえて反することを主張している人たちと考えられます。

 もっとも、パウロの手紙の書きっぷりからすれば、そのような偽教師たちは、まだローマの教会内を実際に荒らし回って「不和やつまずき」をもたらしてしまったというのではないようです。「あなたがたの従順は皆に知られています」とある通りです。しかし、偽教師たちの危険は決して遠いとは言えないからこそ、パウロはこうして警戒を呼び掛けているのでしょう。

 具体的にどのような間違った教えを触れまわっていたのかは記されていませんが、あえて書くまでもなくローマの教会の信徒たちにはすぐに思い当たるところがあったはずです。

 パウロは彼らを「主であるキリストに仕えないで、自分の腹に仕えている」と評しています。これは手厳しい評価です。キリストに仕えようとして、しかし、人間的な間違いでキリストに仕えることができなかったというのではなく、むしろ、最初から自分自身に関心が向いているのです。

 こうした偽教師に対する対処の一番の秘訣として、パウロは、「彼らから遠ざかりなさい」と勧めます。議論を戦わせることも大切な場合もありますが、間違った教えを説いて回る教師と議論を戦わせて、すべての信徒がそれによって益を受けるとは限りません。むしろ、損失の方が大きいでしょう。「遠ざかる」ということも、場合によっては大切なことなのです。

 パウロはこの偽教師たちへの警戒を、祈りのことばでこう結んでいます。

 「平和の源である神は間もなく、サタンをあなたがたの足の下で打ち砕かれるでしょう。わたしたちの主イエスの恵みが、あなたがたと共にあるように。」

 「サタンをあなたがたの足の下で打ち砕かれる」という言葉は、創世記3章15節を思い起こさせます。そこではやがて女の末から生まれる一人の人物が蛇の頭を砕くことが預言されていました。キリストを信じる者たちは、キリストと共にサタンに打ち勝つ希望が与えられているのです。そして、偽教師たちへの警戒の勧めとのつながりから、この部分を理解すると、サタンへの勝利は、使徒たちの教えを純粋に守り続けることと決して切り離せないということです。使徒たちの教えにとどまるときにこそ、その希望は砕かれることはないのです。