2012年10月18日(木)助け合う教会(使徒11:27-30)

 ご機嫌いかがですか。キリスト改革派教会がお送りする「聖書を開こう」の時間です。今週もご一緒に聖書のみことばを味わいましょう。この時間は、キリスト改革派教会牧師の山下正雄が担当いたします。どうぞよろしくお願いします。

 先日、東日本大震災で津波の被害に遭われた方の体験談を聞く機会がありました。その方はクリスチャンで印刷所を経営していましたが、津波の被害で印刷機械が全く使い物にならなくなってしまったそうです。ところが、全世界のキリスト教会から寄せられた義援金で、新しく印刷機械を手に入れることができ、いち早く事業を再開したというばかりではなく、被災した地域の方を職員として採用する恵みにもあずかることができたということでした。自己宣伝するわけではありませんが、キリスト教会の広さと絆の強さを改めて思いました。
 現代のキリスト教会はたくさんの教派に分かれていて、普段はお互いに疎遠同士の教派もないわけではありません。しかし、いざ助けを必要とする事態が起こった時に、こんなにも迅速に、しかも親密に連携することができるキリスト教会の不思議な力強さを思いました。

 さて、今でこそ大きな災害の時に民族を越えて助け合うのは当たり前となりましたが、キリスト教会にはそういう伝統が最初からあったようです。

 それでは早速今日の聖書の個所をお読みしましょう。きょうの聖書の個所は新約聖書使徒言行録 11章27節〜30節までです。新共同訳聖書でお読みいたします。

 そのころ、預言する人々がエルサレムからアンティオキアに下って来た。その中の一人のアガボという者が立って、大飢饉が世界中に起こると”霊”によって予告したが、果たしてそれはクラウディウス帝の時に起こった。そこで、弟子たちはそれぞれの力に応じて、ユダヤに住む兄弟たちに援助の品を送ることに決めた。そして、それを実行し、バルナバとサウロに託して長老たちに届けた。

 きょう取り上げた個所は、ほんの4節ほどの短い個所ですが、初代教会の一面が活き活きと描かれています。

 エルサレムを中心に発展してきたキリスト教会は、ステファノの殉教をきっかけに、散らされていったクリスチャンたちによって、サマリヤからアンティオキアにまで福音が広められて行きました。特にアンティオキアでは、パウロとバルナバの指導のもとに、異邦人の教会が目覚ましく進展して、まわりの人々からは「キリスト者」という呼び名さえ付けられるようになりました。単純に図式化はできませんが、エルサレムのユダヤ人教会に対してアンティオキアの異邦人教会という二大勢力が生まれつつあったようです。

 きょうの話に出てくるのは、エルサレムの教会からやってきた預言者たちの話です。ここでいう「預言者」というのは、初代教会の中にいた働き人で、聖霊の賜物によって立てられていました。コリントの信徒への手紙一の12章28節によれば、「預言者」は「使徒」に次いで二番目にその名が挙がっている霊的な賜物です(エフェソ4:11も参照)。その働きは旧約聖書の預言者と同じように、神の言葉を預かって語る者であり、また、ここでのように未来に起こるべきことを告げる者でもありました、

 どういう事情があって、預言者の一団がエルサレム教会からアンティオキアの教会に来るようになったのかは分かりませんが、少なくともその一団の一人、アガボによって告げられたことは、将来起こる重大な出来事を含んでいました。それはやがて世界を襲う大飢饉についての預言です。

 ちなみに、このアガボという預言者は、使徒言行録21章10節にもう一度登場して、パウロの身の上に起ころうとしていることを告げています。

 さて、このアガボによって予告された飢饉は、クラウディウス帝の時に起こりました。ただし、この世の歴史書の中には、クラウディウス帝の時に全世界に及ぶ大飢饉が発生したという記録はありませんが、ただ少なくともパレスチナを飢饉が襲ったという記録はユダヤ人歴史家のヨセフスの記した書物に記録が記されています。紀元46年のことです。

 使徒言行録は、この時、アンティオキアの教会はユダヤに住む兄弟のために援助の品を送ることを決めた、と記しています。実際、この援助の品はバルナバとパウロの手に託されて届けられます。

 これは今読むとなんでもない施しの業に見えるかもしれません。しかし、この時代のユダヤ人と異邦人の関係を考えてみると、常識を打ち破るような出来事です。異邦人がユダヤ人に助けの手をのべ、ユダヤ人がそれを受け入れた、ということは、ユダヤ教の世界では起こり得ない出来事だったでしょう。

 既にアンティオキアの教会では、パウロとバルナバが一年かけて神の言葉を教える働きをしていましたが、それは信じるべき福音の内容を、エルサレムの教会とアンティオキアの教会で一致させることにつながったことでしょう。しかし、それは教えの一致を生みだしたというばかりではなく、教会のなすべき善き業の一致をも生み出すきっかけとなったはずです。
 既にエルサレムの教会では、使徒言行録が何度も報告しているように、信徒たちは持ちものを分かち合っていました。そのような業が今度は地域や民族を越えて及んでいるのです。エルサレムとアンティオキアに二つの教会が生まれたのではなく、いわば、教会が一つの体のように、互いを必要とし、互いを助け合うものとして存在するようになったのです。エルサレムの教会をユダヤ人キリスト者の教会、アンティオキアの教会を異邦人キリスト者の教会と、あたかも二つの勢力が拮抗するような形で存在するのではなく、一つのキリスト教会として一致を保っているのです。

 エルサレムの教会を支援するための援助活動は、アンティオキアの教会が最初で最後ではありませんでした。後にパウロは、各地の異邦人の諸教会から、エルサレムの貧しい信徒のための援助を集めて届けました。この募金については、パウロが書いたローマの信徒への手紙(15:25以下)、コリントの信徒へ宛てた二通の手紙(1コリント16:1以下、2コリント8:1以下)、そして、ガラテヤの信徒への手紙(2:10)の中に、それぞれ言及されています。

 もともと、エルサレムは、一部の貴族階級は別として、それほど裕福ではない人々が住んでおりました。特にユダヤ教との区別が明らかになりつつあったキリスト教会では、様々な不利益を被ることが多かったことでしょう。ステファノの事件のあとは、ギリシア語を話すユダヤ人キリスト者が散らされてでていくことで、貧困の度合いはさらに進んだものと思われます。そこへ飢饉が追い打ちをかけたのですから、エルサレムのキリスト教会が、どれほど貧困に陥ったかは容易に想像することができます。

 冒頭でも触れましたが、キリストにある兄弟姉妹たちが、国境や民族を越えて助け合うことは、決して近代におこった出来事ではありません。キリスト教会は、たしかに人道的な理由もさることながら、イエス・キリストにあって一つであるからこそ、互いの必要を互いに補いあっているのです。