2013年1月10日(木)励ましに満ちた決定(使徒15:22-35)

 ご機嫌いかがですか。キリスト改革派教会がお送りする「聖書を開こう」の時間です。今週もご一緒に聖書のみことばを味わいましょう。この時間は、キリスト改革派教会牧師の山下正雄が担当いたします。どうぞよろしくお願いします。

 「教会の一致」という言葉をよく耳にします。この場合の教会の一致というのは、一つの建物に集まっている信徒の群れが一致しているという意味に留まるものではありません。キリスト教会というのはグローバルな存在です。こっちの地方の教会の信じていることと、あっちの地方の教会が信じていることが違っていたのでは、キリスト教会が一致しているとは言えません。しかし、国や民族をまたぐ諸教会が、一致しているというのは口で言うほど簡単ではありません。初代の教会は福音の宣教を推し進めていく中で、さっそくこの問題にぶつかりました。
 信仰を巡る意見の対立が起こるときに、協議の場を設けて、その話し合いの決定に従うという方法で、初代教会は教会の一致を具現化していきました。エルサレムで開かれた使徒たちの会議からきょうも学びを続けていきたいと思います。

 それでは早速今日の聖書の個所をお読みしましょう。きょうの聖書の個所は新約聖書使徒言行録 15章22節〜35節までです。新共同訳聖書でお読みいたします。

 そこで、使徒たちと長老たちは、教会全体と共に、自分たちの中から人を選んで、パウロやバルナバと一緒にアンティオキアに派遣することを決定した。選ばれたのは、バルサバと呼ばれるユダおよびシラスで、兄弟たちの中で指導的な立場にいた人たちである。使徒たちは、次の手紙を彼らに託した。「使徒と長老たちが兄弟として、アンティオキアとシリア州とキリキア州に住む、異邦人の兄弟たちに挨拶いたします。聞くところによると、わたしたちのうちのある者がそちらへ行き、わたしたちから何の指示もないのに、いろいろなことを言って、あなたがたを騒がせ動揺させたとのことです。それで、人を選び、わたしたちの愛するバルナバとパウロとに同行させて、そちらに派遣することを、わたしたちは満場一致で決定しました。このバルナバとパウロは、わたしたちの主イエス・キリストの名のために身を献げている人たちです。それで、ユダとシラスを選んで派遣しますが、彼らは同じことを口頭でも説明するでしょう。聖霊とわたしたちは、次の必要な事柄以外、一切あなたがたに重荷を負わせないことに決めました。すなわち、偶像に献げられたものと、血と、絞め殺した動物の肉と、みだらな行いとを避けることです。以上を慎めばよいのです。健康を祈ります。」
 さて、彼ら一同は見送りを受けて出発し、アンティオキアに到着すると、信者全体を集めて手紙を手渡した。彼らはそれを読み、励ましに満ちた決定を知って喜んだ。ユダとシラスは預言する者でもあったので、いろいろと話をして兄弟たちを励まし力づけ、しばらくここに滞在した後、兄弟たちから送別の挨拶を受けて見送られ、自分たちを派遣した人々のところへ帰って行った。しかし、パウロとバルナバはアンティオキアにとどまって教え、他の多くの人と一緒に主の言葉の福音を告げ知らせた。

 前回の学びでは、エルサレムで開かれた会議が結論に導かれる様子を取り上げました。使徒たちが下した決定は、異邦人からの改宗者たちに割礼を強要しないというものでした。
 その結論に達するために、会議では異邦人たちの身に起こっている救いの現実をまずしっかりと受け止めました。それと同時に、その現実が聖書の教えに反するものであるかどうかも確かめられました。それらを踏まえたうえで下した結論が、異邦人には割礼を強要しないというものでした。
 それと同時に、すべてのクリスチャンが守るべきいくつかのルールについても定めました。それは「偶像に供えて汚れた肉と、みだらな行いと、絞め殺した動物の肉と、血とを避けるように」というものでした。これらの規定は、すべてが永久に教会を束縛する規定というよりは、ユダヤ人たちを配慮し、またキリスト者としての品位を保つためのものでした。

 さて、きょう取り上げた個所には、これらの決定が諸教会に伝えられる様子が描かれています。エルサレム会議の決定を伝えるために、二人の特使が選ばれます。一人はバルサバと呼ばれるユダ、もう一人はシラスです。
 バルサバという名前は使徒言行録1章23節で、イスカリオテのユダに代わって十二使徒の一員に選ばれる候補者としてマティアとともに名前が上がっていますが、このヨセフ・バルサバときょうのユダ・バルサバとは兄弟であるかもしれません。もう一人のシラスの方はシルワノとも呼ばれ、後に第二回のパウロの宣教旅行に同行する人物です。
 この二人とも「指導的な立場にいた人」(15:22)であり「預言する者」(15:32)でもありました。

 教会が二人の人物をわざわざ選んでエルサレムから遣わすということは、会議の決定がどれほど重大なことがらであり、またすべての教会の一致について関心が高いかということを物語っています。アンティオキアからやってきたパウロとバルナバが、自分たちの教会に帰って会議の様子を報告すれば事足りることであったかもしれませんが、この会議はそれ以上のことを願ったのでした。

 教会はこの二人の人物を選び、会議の決定を記した手紙を持たせ、パウロとバルナバに同行させます。その手紙の内容は23節以下に記されている通りです。当時の一般的な手紙の書式に従って記されていますが、配慮に満ちた言葉にあふれています。

 まず差出人と受取人を「使徒と長老から異邦人教会へ」とはしないで、兄弟から兄弟への手紙としています。エルサレムの教会が上からの決定を異邦人教会に下すのではなく、同じ主にある兄弟として、エルサレムとアンティオキアの両方の教会にとって重要な決定を伝えるという気持ちが伝わるように配慮ある工夫がなされています。
 手紙は挨拶の言葉のあと、さっそく問題となった事実に触れています。問題の発端が異邦人教会にあったのではなく、むしろ、教会的な決定が無いのに異邦人教会に重荷となるような習慣を押し付けようとしていた人々がいた事実を指摘しています。この事実が教会全体に正しく認識されたことを知るだけで、アンティオキアやその周辺にあった異邦人教会の人々がどれほど安堵したことかと思われます。

 さらに、バルナバとパウロについて、「主イエス・キリストの名のために身を献げている人たち」だと記しています。これもアンティオキアの教会の人たちにとって力づよい励ましになったに違いありません。会議の流れ次第では、異邦人に割礼は必要でないとしたパウロたちは、キリストに反対する敵であるとみなされたかもしれません。しかし、この書簡はその心配をまずぬぐい去っています。

 この書簡は会議の決定を「聖霊とわたしたち」が決めたこととして伝えています。割礼に関して会議が打ち出した結論は、異邦人にとっては非常に有利な内容でしたから、不服と感じることはなかったでしょう。しかし、付随して定められた四つの規定は、割礼を受けるほど重たい内容ではないにしても、それを徹底するには異邦人社会との摩擦を覚悟しなければならない内容でした。それを人間的な決定と受け止めれば不平も出てくるでしょう。しかし、この決定が単なる人間的な知恵と妥協から生れたのではなく、終始聖霊の導きがあったことを認めて服するときに、教会の一致が生みだされるのです。いえ、教会にはもともと聖霊による一致があたえられているのですから、会議を通して働きかけてくださる聖霊の導きに謙虚に信頼して従う時に、教会の一致が保たれるのです。