2013年2月14日(木)何のための宗教か(使徒16:16-24)

 ご機嫌いかがですか。キリスト改革派教会がお送りする「聖書を開こう」の時間です。今週もご一緒に聖書のみことばを味わいましょう。この時間は、キリスト改革派教会牧師の山下正雄が担当いたします。どうぞよろしくお願いします。

 伝道のチャンスというのは、思いもかけない時に訪れるものです。すでにパウロたちは小アジアでの伝道の行き詰まりが、マケドニア伝道への備えであったことを体験しました。
 そのマケドニア伝道の最初の地、フィリピでの伝道も、パウロたちが投獄されることで、早くも行き詰まりを迎えたかのように思われました。
 きょうは投獄されたパウロたちの身に起こった、その後の思いがけない展開をご一緒に学びたいと思います。

 それでは早速今日の聖書の個所をお読みしましょう。きょうの聖書の個所は新約聖書使徒言行録 16章25節〜40節までです。新共同訳聖書でお読みいたします。

 真夜中ごろ、パウロとシラスが賛美の歌をうたって神に祈っていると、ほかの囚人たちはこれに聞き入っていた。突然、大地震が起こり、牢の土台が揺れ動いた。たちまち牢の戸がみな開き、すべての囚人の鎖も外れてしまった。目を覚ました看守は、牢の戸が開いているのを見て、囚人たちが逃げてしまったと思い込み、剣を抜いて自殺しようとした。パウロは大声で叫んだ。「自害してはいけない。わたしたちは皆ここにいる。」看守は、明かりを持って来させて牢の中に飛び込み、パウロとシラスの前に震えながらひれ伏し、二人を外へ連れ出して言った。「先生方、救われるためにはどうすべきでしょうか。」二人は言った。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます。」そして、看守とその家の人たち全部に主の言葉を語った。まだ真夜中であったが、看守は二人を連れて行って打ち傷を洗ってやり、自分も家族の者も皆すぐに洗礼を受けた。この後、二人を自分の家に案内して食事を出し、神を信じる者になったことを家族ともども喜んだ。
 朝になると、高官たちは下役たちを差し向けて、「あの者どもを釈放せよ」と言わせた。それで、看守はパウロにこの言葉を伝えた。「高官たちが、あなたがたを釈放するようにと、言ってよこしました。さあ、牢から出て、安心して行きなさい。」ところが、パウロは下役たちに言った。「高官たちは、ローマ帝国の市民権を持つわたしたちを、裁判にもかけずに公衆の面前で鞭打ってから投獄したのに、今ひそかに釈放しようとするのか。いや、それはいけない。高官たちが自分でここへ来て、わたしたちを連れ出すべきだ。」下役たちは、この言葉を高官たちに報告した。高官たちは、二人がローマ帝国の市民権を持つ者であると聞いて恐れ、出向いて来てわびを言い、二人を牢から連れ出し、町から出て行くように頼んだ。牢を出た二人は、リディアの家に行って兄弟たちに会い、彼らを励ましてから出発した。

 前回の学びでは、女奴隷にとりついた占いの霊をパウロが追い出したことを取り上げました。それが原因で、町の秩序を乱す悪人として、パウロとシラスは牢に幽閉されてしまいました。
 たとえそのような投獄が不当なものであったとしても、一度貼られたレッテルを取り消すことは簡単にはできません。せっかく始められたフィリピでの伝道も、生れたばかりの教会も、これで行先が閉ざされたものと誰の目にも映ったに違いありません。ところが、主の御計画は人間の思いをはるかに超えたものでした。

 まず、投獄されたパウロとシラスに、神は上からの平安を豊かにお与えくださいました。彼らは奥の牢に閉じ込められ、足枷までもはめられながらも、少しも動揺する様子を見せません。そのような状況にあっても、心静かに神に讃美の歌をうたい、祈りを捧げていました。しかも、その声を他の囚人たちが聞き入っていたというのです。
 使徒言行録はそれ以上のコメントを記してはいませんが、真夜中に襲った地震で牢の扉があいたときに、他の囚人たちが我先に逃亡しなかったのは、賛美の歌をうたい祈るパウロたちの影響があったのかもしれません。

 少し話が横道にそれますが、使徒言行録の中で、キリスト教会がうたう賛美の歌について言及されるのはここが初めてです。今でこそ、教会の礼拝で賛美の歌をうたうことは当たり前のことですが、その伝統はすでにここに見出すことができます。
 もちろん、パウロたちの賛美や祈りの習慣は、ユダヤ教の伝統から継承したものであったことは疑い得ません。しかし、いずれにしても神への賛美の歌声を絶やさないパウロたちの信仰の姿勢を思います。詩編の102編19節に「主を賛美するために民は創造された」という言葉がありますが、この言葉の通り、パウロたちは苦難の中にあっても主を賛美することを忘れない信仰を持っていました。

 後に小プリニウスが二世紀初頭にトラヤヌス皇帝に宛てて送った書簡の中に、キリスト教会の集会について、こんな報告が出てきます。

 「彼ら(キリスト教徒)は通常ある決まった日の日の出前に集まり、あたかも神に対するかのようにキリストに対して歌を歌い交わす」

 小プリニウスのようなキリスト教会外部の人間にとっても、キリスト教の集会の特徴の一つと言えば、賛美の歌をうたうということが挙げられているのです。
 ただ、パウロとシラスがうたった賛美の歌がキリストを神として崇める賛美だったのかは使徒言行録には記されていませんが、その可能性は否定できません。パウロが後にフィリピの教会に宛てた書簡には既にキリスト教の賛美歌に由来すると思われる言葉が記されているからです(フィリピ2:6以下)。そこにはキリストが神と等しい者として描かれています。

 さて、真夜中ごろパウロたちが賛美の歌をうたい、祈っていると大きな地震のために、囚人たちの鎖が抜け落ち、牢の扉が開いてしまったので、牢の番をしていた看守は、てっきり囚人たちが逃亡してしまったと思いこみました。そして、その責任をとって自害しようとするのを、パウロは思いとどまらせます。

 使徒言行録の記事は、今のわたしたちの興味を満たすだけの情報をすべて載せてくれてはいませんので、この看守とパウロとの関係や、看守のそれまでの宗教的な背景についてはほとんど何も知ることができません。しかし、使徒言行録の著者は、後代の教会にとって大切な点をしっかりと伝えています。それは、看守とパウロたちとの間で交わされた会話です。

 「先生方、救われるためにはどうすべきでしょうか。」「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます。」

 この看守が「救い」というときに、いったい何をイメージしていたのかは分かりません。しかし、それが何であれ、パウロにとっては主イエスを信じることによってもたらされる救い以外に、救いはありえません。そうであればこそ、看守やその家族が救いについて誤解したまま洗礼を受けることがないように、パウロは「看守とその家の人たち全部に主の言葉を語った」のでした。

 パウロたちにとってフィリピでの伝道は限られた期間でしかありませんでしたが、しかし、確実に二家族を入信へと導く恵みにあずかりました。そればかりか、後にパウロが記したフィリピの信徒への手紙を読むと、この教会はテサロニケで活動するパウロをもののやり取りで支えたただひとつの教会でした(フィリピ4:15)。
 神はどんな困難な状況にあっても、人間の思いを超えて教会の伝道と成長を助けてくださいます。