2013年4月11日(木)雄弁な説教者アポロとプリスキラ夫妻(使徒18:24-28)

 ご機嫌いかがですか。キリスト改革派教会がお送りする「聖書を開こう」の時間です。今週もご一緒に聖書のみことばを味わいましょう。この時間は、キリスト改革派教会牧師の山下正雄が担当いたします。どうぞよろしくお願いします。

 間違いを正すということは、なかなか難しいことです。間違いをただ指摘するだけならば、もう少し簡単かも知れません。しかし、指摘した間違いが訂正されなければ、指摘するだけでは十分ではありません。
 ところが、人間というのはなかなか頑固な存在で、間違いが指摘されたからと言って、素直には受け入れないということがあります。プライドが邪魔をして、素直になれないこともあれば、いじけてしまって心を閉ざしてしまうということもあります。
 間違いを正すということは、ただ事柄が正しいか間違っているかを相手に説得し、認めさせることだけではないように思います。相手の人格を尊重することがその前提になければうまくいかないものです。

 きょう取り上げようとしている個所では、一人の雄弁な説教家の間違いが正され、さらに大きな働き人へと変えられます。

 それでは早速今日の聖書の個所をお読みしましょう。きょうの聖書の個所は新約聖書使徒言行録 18章24節〜28節までです。新共同訳聖書でお読みいたします。

 さて、アレクサンドリア生まれのユダヤ人で、聖書に詳しいアポロという雄弁家が、エフェソに来た。彼は主の道を受け入れており、イエスのことについて熱心に語り、正確に教えていたが、ヨハネの洗礼しか知らなかった。このアポロが会堂で大胆に教え始めた。これを聞いたプリスキラとアキラは、彼を招いて、もっと正確に神の道を説明した。それから、アポロがアカイア州に渡ることを望んでいたので、兄弟たちはアポロを励まし、かの地の弟子たちに彼を歓迎してくれるようにと手紙を書いた。アポロはそこへ着くと、既に恵みによって信じていた人々を大いに助けた。彼が聖書に基づいて、メシアはイエスであると公然と立証し、激しい語調でユダヤ人たちを説き伏せたからである。

 先週は、第二回の宣教旅行を終えたパウロが、三回目の宣教旅行へと再び旅立った様子を取り上げました。今日の個所には、直接パウロの名前も働きも記されてはいませんが、パウロがつい先ごろまで伝道したコリントの教会と深いかかわりを持つことになる人物が取り上げられます。アレクサンドリア生れのユダヤ人で、アポロという名前の人物です。

 アレクサンドリアは、エジプトのナイル川デルタ地帯にある都市で、キリスト時代には人口百万を超える、ローマに次ぐ大都市した。ユダヤ人の入植も早くから進み、ギリシア語訳の旧約聖書である七十人訳聖書が生れたのもこの町であるといわれています。そのアレクサンドリア出身のアポロという人物が、どこでキリスト教と出会ったのかはわかりませんが、このアポロがエフェソに来た時の話です。

 使徒言行録が伝えるアポロの人物像は、非常に好意的な描かれ方がなされています。もちろん、使徒言行録は出来事を振り返って書いているのですから、アポロの業績を考えれば、この人物について悪くは書けなかったということもあるかもしれません。しかし、そのことを差し引いたとしても、使徒言行録が記すアポロの人物像は目を見張るものがあります。彼は聖書に詳しく、雄弁家で、主の道を受け入れており、イエスについて熱心に語り、しかも正確に教えていた、というのですから、ここまでを読めばパーフェクトといってもよいほどの説教者です。これだけの資質と才能を与えられた説教者というのは、得難い人物です。

 ところが、アポロには一つ欠けた点があったことを使徒言行録は伝えています。それも、キリスト教の根幹にかかわることですから、それを見過ごすわけにはいきませんでした。あれだけアポロのことを持ちあげて紹介しておきながら、そのアポロが「ヨハネの洗礼しか知らなかった」というのは驚きです。もっとも、まだ生れたばかりのキリスト教であったということを考えると、アポロの伝えるキリスト教に欠けがあったということは、ある意味仕方のないことであったのかもしれません。アポロは知っていながら、敢えてヨハネの洗礼に固執したというのではなく、今までキリストの名による洗礼について、ほんとうに聞いたことが無かったのかもしれません。
 19章にも同じように洗礼者ヨハネの洗礼しか知らない弟子たちが登場していますから、キリスト教が生れたばかりの時代には、洗礼について信仰者の中にも無知や誤解があったということです。ただ、一信徒が間違った理解をもっているというのならまだしも、アポロは雄弁な説教者として、キリスト教を伝えていたのですから、この間違いを放置しておくわけにはいきません。

 この確信に満ちて大胆に語るアポロに異を唱えたのは、コリントでパウロと生活を共にしたプリスキラとアキラ夫妻でした。このときこの夫妻はコリントを離れてエフェソに来ていました。18章18節にもあるように、コリントを後にしたパウロと一緒にプリスキラ夫妻もエフェソに来たからです。おそらく、パウロがシリアに向けて出発したあとも、この夫妻はエフェソに留まっていたのでしょう。

 このプリスキラ夫妻がアポロを招いて、もっと正確に神の道を説明したとあります。もちろん、プリスキラ夫妻は特別な訓練を受けた人ではありませんでした。一信徒として、キリストを信じる夫妻でした。この二人はアポロの説教の誤りに気が付き、放置することもできず、しかし、ただ間違いを指摘するのでもなく、もっと正確に福音を解き明かすことができるように神の道を説明したのでした。

 その際、プリスキラ夫妻はアポロを「招いて」とあります。この場合の「招いて」というのは、自宅に招いて、という意味ではなく、「脇へ連れて行き」という意味でしょう(マルコ8:32参照)。聴衆の面前でではなく、自分たちだけのところで、間違いを指摘し、説明した、ということです。そこにはアポロに対する配慮があったのでしょう。
 誰しも公衆の面前で自分の間違いを指摘されることは、愉快なことではありません。まして、確信に満ちて大胆に語っているアポロに対して、聴衆の面前でその間違いを指摘すれば、アポロの面目を潰してしまうことにもなりかねません。
 プリスキラ夫妻が望んだことは、ただ、アポロの間違いが明るみに出されることではなく、アポロが正しい知識を得て、正確にキリスト教を伝える者として用いられることでした。

 プリスキラ夫妻がしたことは、わずか数行でしか記されていませんが、アポロにキリスト教の教えを正確に説明するには、この夫妻が使った時間と労力は決して小さなものではなかったはずです。この夫妻の働きがあればこそ、アポロはエフェソからコリントに渡って大きな働きをなすことができたのです。

 もちろん、プリスキラ夫妻ばかりではなく、エフェソの信徒たちも、アポロを手助けしました。アポロがアカイア州でよりよく主のために働くことができるようにと励まし、かの地の教会に宛ててアポロを歓迎してくれるようにと推薦の手紙を書き送りました。

 コリントの信徒への手紙を読むと、アポロの影響がどれほど大きなものであったかが分かります(1コリント1:12、3:5-6)。この雄弁な説教者であり伝道者であるアポロの背後には、エフェソの教会の人たちの助けと祈りがあったのです。