2013年7月11日(木)神殿で逮捕されるパウロ(使徒21:27-36)

 ご機嫌いかがですか。キリスト改革派教会がお送りする「聖書を開こう」の時間です。今週もご一緒に聖書のみことばを味わいましょう。この時間は、キリスト改革派教会牧師の山下正雄が担当いたします。どうぞよろしくお願いします。

 暴動の現場に居合わせるという経験を持った人は、まず身近にいないと思います。学生運動が盛んだったころを経験した人なら、コントロールがきかない集団の力の怖さをあるいは知っているかもしれません。それももう遠い昔の話で、ほとんどの人にとって、扇動された群衆が騒ぎ始めるなどということはめったに経験しないことです。
 きょうこれから取り上げようとしている個所には、扇動された群衆が騒ぎを起こした事件が記されています。それも、その暴力の矛先は一人の人物に向かっています。集団リンチといってもよい事件です。

 それでは早速今日の聖書の個所をお読みしましょう。きょうの聖書の個所は新約聖書使徒言行録 21章27節〜36節までです。新共同訳聖書でお読みいたします。

 七日の期間が終わろうとしていたとき、アジア州から来たユダヤ人たちが神殿の境内でパウロを見つけ、全群衆を扇動して彼を捕らえ、こう叫んだ。「イスラエルの人たち、手伝ってくれ。この男は、民と律法とこの場所を無視することを、至るところでだれにでも教えている。その上、ギリシア人を境内に連れ込んで、この聖なる場所を汚してしまった。」彼らは、エフェソ出身のトロフィモが前に都でパウロと一緒にいたのを見かけたので、パウロが彼を境内に連れ込んだのだと思ったからである。それで、都全体は大騒ぎになり、民衆は駆け寄って来て、パウロを捕らえ、境内から引きずり出した。そして、門はどれもすぐに閉ざされた。彼らがパウロを殺そうとしていたとき、エルサレム中が混乱状態に陥っているという報告が、守備大隊の千人隊長のもとに届いた。千人隊長は直ちに兵士と百人隊長を率いて、その場に駆けつけた。群衆は千人隊長と兵士を見ると、パウロを殴るのをやめた。千人隊長は近寄ってパウロを捕らえ、二本の鎖で縛るように命じた。そして、パウロが何者であるのか、また、何をしたのかと尋ねた。しかし、群衆はあれやこれやと叫び立てていた。千人隊長は、騒々しくて真相をつかむことができないので、パウロを兵営に連れて行くように命じた。パウロが階段にさしかかったとき、群衆の暴行を避けるために、兵士たちは彼を担いで行かなければならなかった。大勢の民衆が、「その男を殺してしまえ」と叫びながらついて来たからである。

 パウロは三度目の宣教旅行の際に、異邦人教会に献金をうったえて、エルサレム教会の兄弟姉妹を助けるための救援金を集めました。それを携えてエルサレムに向かいましたが、パウロを待ちうけていたものは、身を危険にさらす程の事件でした。

 既にパウロとユダヤ人たちとの対立は、今までの伝道旅行を記した記事にもしばしば登場しました。今まで学んできたことのおさらいになりますが、最初の宣教旅行のとき、ピシディアのアンティオキアでは、ユダヤ人たちがパウロを口汚くののしってパウロの言うことに反対した次第が記されています(使徒13:45)。その後、イコニオンでもユダヤ人の扇動によって、異邦人たちにクリスチャンに対する悪意を抱かせるという事件が起こりました(14:2)。さらにリストラではユダヤ人の扇動によってパウロに対して石を投げつけるという事件にまで事態が発展しまています(14:19)。
 第二回の宣教旅行では、アジア州からマケドニア州へと渡りますが、そこでも同じようにユダヤ人との対立が起こります。テサロニケでも(17:5)、ベレアでも(17:13)、さらにはコリントでもユダヤ人の起こした騒ぎにパウロは巻き込まれます(18:12-13)。
 第三回の宣教旅行では、とうとうパウロに対する陰謀が発覚して、旅のコースを変更せざるを得なくなるほどでした(20:3)。
 こうした経緯から考えると、パウロの身にいつ何が起こったとしても不思議ではない状況でした。既に学んだ通り、この三回目の宣教旅行の終わりには、いろいろな人から、パウロに対してエルサレムにはいかないようにという声があがったことが記されています(21:4,12)。
 そういう意味で、きょうの個所で起こった事件は決して予想外の出来事ではありませんでした。パウロも自分の身に起こることを覚悟はしていました。

 事件の発端はアジア州からエルサレムにやってきたユダヤ人によってもたらされました。アジア州は最初の宣教旅行の際に伝道がなされた場所ですが、ユダヤ人からの反発も大きな場所でした。パウロ自身、アジア州での伝道を振り返って「ユダヤ人の数々の陰謀によってこの身にふりかかってきた試練」について言及しています(20:19)。
 時は丁度五旬祭の折りでしたから、多くのユダヤ人たちが各地からエルサレムに来ていました。ここに登場するアジア州からのユダヤ人たちも、そうした一団だったのでしょう。
 神殿の境内でパウロを見かけるや、祭りに来ていた他のユダヤ人たちに応援を求めて、こう叫びます。

 「イスラエルの人たち、手伝ってくれ。この男は、民と律法とこの場所を無視することを、至るところでだれにでも教えている。その上、ギリシア人を境内に連れ込んで、この聖なる場所を汚してしまった。」

 パウロがモーセの律法と習慣を無視しているという噂は、先週取り上げた個所にも出てきたとおり、エルサレム教会の兄弟たちの耳にも届いていたものでした。そうであればこそ、エルサレム教会のヤコブや長老たちは、あらぬ誤解を静めようと策を講じ、パウロもそれに協力して努力してきたのです。その矢先に起きた事件でした。

 ところが誤解がさらに誤解を生んで、異邦人には出入りが禁じられている神殿の内庭に、パウロがトロフィモを連れて入ったというのです。それは都の別の場所でこの二人が一緒にいるのを見かけたユダヤ人たちの、勝手な推測にすぎないことでした。

 しかし、民族意識の高まる祭りの期間中ということも手伝って、騒ぎは一気に暴徒化します。パウロを神殿の境内から引きずり出したばかりではなく、殺そうとさえしたのです。

 この騒ぎはいち早く守備大隊の千人隊長のところに知らされます。当時、祭りの際に民族的な暴動が起こらないように、エルサレム城壁の北西の角にあったアントニアの塔にはローマ軍が駐屯して、治安の維持に努めていました。この千人隊長の名前は、のちにクラウディウス・リシアであったことが差し出した手紙から分かります(使徒23:26)
 こうして、ローマの軍隊の介入で、パウロは暴徒化した群衆の手から命を救われます。

 さて、今まで事件のあらましを描いてきましたが、ここから何をわたしたちは学ぶことができるのでしょうか。
 後の話の展開からすれば、パウロはローマの軍隊が介入することで、やがてはローマ皇帝へ上訴する機会を得ます。パウロが思い描いていたのとは違う方法かもしれませんが、ローマ行きの計画が実現へと動き出します。
 困難の中にも、確実に神の御手が働いているのです。どんな絶望的な状況にあっても、神がその御計画を導いていてくださっていると知ることは、今を生きるわたしたちにとっても励ましです。