2013年11月14日(木)ローマに着いたパウロ(使徒28:11-22)

 ご機嫌いかがですか。キリスト改革派教会がお送りする「聖書を開こう」の時間です。今週もご一緒に聖書のみことばを味わいましょう。この時間は、キリスト改革派教会牧師の山下正雄が担当いたします。どうぞよろしくお願いします。

 見知らぬ土地で、自分を知っている誰かに出会うと、ホッと安心するものです。こちらがその人のことを知らなくても、向こうがこちらを知っていて親しみを覚えてくれているときにはなおさらです。
 ローマに向かうパウロには、そういうたくさんの仲間との出会いがありました。

 それでは早速今日の聖書の個所をお読みしましょう。きょうの聖書の個所は新約聖書使徒言行録 28章11節〜22節までです。新共同訳聖書でお読みいたします。

 3か月後、わたしたちは、この島で冬を越していたアレクサンドリアの船に乗って出航した。ディオスクロイを船印とする船であった。わたしたちは、シラクサに寄港して3日間そこに滞在し、ここから海岸沿いに進み、レギオンに着いた。1日たつと、南風が吹いて来たので、2日でプテオリに入港した。わたしたちはそこで兄弟たちを見つけ、請われるままに7日間滞在した。こうして、わたしたちはローマに着いた。ローマからは、兄弟たちがわたしたちのことを聞き伝えて、アピイフォルムとトレス・タベルネまで迎えに来てくれた。パウロは彼らを見て、神に感謝し、勇気づけられた。わたしたちがローマに入ったとき、パウロは番兵を一人つけられたが、自分だけで住むことを許された。
 3日の後、パウロはおもだったユダヤ人たちを招いた。彼らが集まって来たとき、こう言った。「兄弟たち、わたしは、民に対しても先祖の慣習に対しても、背くようなことは何一つしていないのに、エルサレムで囚人としてローマ人の手に引き渡されてしまいました。ローマ人はわたしを取り調べたのですが、死刑に相当する理由が何も無かったので、釈放しようと思ったのです。しかし、ユダヤ人たちが反対したので、わたしは皇帝に上訴せざるをえませんでした。これは、決して同胞を告発するためではありません。だからこそ、お会いして話し合いたいと、あなたがたにお願いしたのです。イスラエルが希望していることのために、わたしはこのように鎖でつながれているのです。」すると、ユダヤ人たちが言った。「私どもは、あなたのことについてユダヤから何の書面も受け取ってはおりませんし、また、ここに来た兄弟のだれ一人として、あなたについて何か悪いことを報告したことも、話したこともありませんでした。あなたの考えておられることを、直接お聞きしたい。この分派については、至るところで反対があることを耳にしているのです。」

 先週は嵐によって漂着したマルタ島での出来事を学びました。船旅に適した時期を既に過ぎていましたので、この島で冬を過ごすことになったパウロたちでした。しかし、幸いなことに島の住民たちはパウロたちを好意的に受け入れたので、パウロたちは冬を無事にやり過ごすことができました。

 3か月後、再びローマに向かう船旅が始まります。既に嵐と難破で船を失っていたパウロたちでしたから、ローマに旅立つには、ローマ行きの船を見つけなければなりません。幸いなことに、同じマルタ島で冬を過ごしていたアレクサンドリアの船を見つけることができました。
 パウロたちがもともと乗っていて難船した船も、アレクサンドリアの穀物運搬船でしたが(27:6,38)、今度も同じような穀物運搬の船であったかもしれません。その船にはディオスクロイのしるしがつけられていました。ディオスクロイというのは、ギリシア神話に登場する双子の兄弟カストールとポリュデウケースのことで、星座の双子座はここから来ています。見つけた船にディオスクロイのしるしがつけられていたのは、ディオスクロイが航海の守護神と考えられていたからです。
 使徒言行録の著者がわざわざそのことに言及しているのは、今度の船旅の安全をこのディオスクロイのしるしに見いだしからではありません。むしろ逆で、まことの神の助けによって今まで無事に導かれて来たことを確信しているパウロたちにとっては、このようなしるしが、まったく意味のないものとして滑稽に思えたからでしょう。

 新しく見つけた船はマルタ島を離れて、マルタ島から北北東に位置するシチリア島のシラクサに寄港して3日間を過ごします。
 そこから海岸沿いに北上し、イタリア半島の西端に突き出た、ちょうどブーツのつま先の辺りにあたるレギオンに到着します。そこで南風を待って翌日メッスィナ水道を抜け、イタリア半島の西を海岸沿いに北上し、2日でプテオリに到着します。ここはナポリ湾の北で、ここからローマまでは陸路で150キロほどの距離です。パウロはここで、その地で出会ったクリスチャンに要請されるがままに7日間滞在します。囚人として護送されてきたパウロが、ここに7日間も滞在して、自由に仲間のクリスチャンと面会できたということは、普通考えられないことです。しかし、護送の責任者である百人隊長にとっては、パウロは特別な囚人であったということでしょう。

 そこを発ってローマに向かうパウロを、途中の町々まで出迎えに来る兄弟たちがいました。このことはパウロにとって、感謝であると同時に励ましでもありました。

 さて、ローマに到着したパウロには思いのほか、寛大な待遇が待っていました。番兵を一人つけられたとはいうものの、自分一人で住むことが許されたのです。ここでもパウロがどれほど信頼されていたか、ということを垣間見ます。

 パウロはローマについてから3日後には、ユダヤ人たちを招いて自分の立場を弁明します。招かれたのはローマに住んでいたユダヤ人たちですが、それらのユダヤ人たちはユダヤ人クリスチャンではなくユダヤ教を信じるユダヤ人でした。それも、おもだった人たちとありますから、会堂を任されていたような長老たちであったのでしょう。
 パウロは、自分が告発されているのは、自分がユダヤ教の習慣を破ったからではなく、あくまでもイスラエルの希望についての見解に違いがあるためだと弁明します。

 さいわい、エルサレムで広まっていたパウロについての悪い噂は、ここローマにまでは伝わってきていなかったようです。ただ、いたるところでキリスト教についての反対があることだけは、この主だった人たちの耳にも入っていました。そして、そうであればこそ、パウロから直接聞く機会を設けたいと彼らは望んだのでした。

 ローマにいたユダヤ人たちは、少なくともエルサレムでパウロを捕らえようとしたユダヤ人とは違っていました。彼らは穏健で聞こうとする姿勢はあったのです。

 エルサレムで騒動に巻き込まれ、カイサリアで幽閉されたときのパウロにとっては、このような機会が訪れるということは、人間的に考えれば予想もできなかったことでしょう。しかし、パウロを召してくださった神は、とうとうローマに至るまでパウロを守り、ローマに在住するユダヤ人に対する弁明の機会を与えてくださったのです。そればかりではありません。イエス・キリストについて証しする機会をも与えようとしてくださったのです。