2015年8月20日(木) 選択の誤り(ヨハネ18:38b-40)

 ご機嫌いかがですか。キリスト改革派教会がお送りする「聖書を開こう」の時間です。今週もご一緒に聖書のみことばを味わいましょう。この時間は、キリスト改革派教会牧師の山下正雄が担当いたします。どうぞよろしくお願いします。

 イエス・キリストの裁判の様子を、今わたしたちはヨハネ福音書から学んでいます。イエス・キリストが逮捕された晩から判決が下るまでというのは、ほんのわずかの短い時間しかありません。おおよそ裁判というには程遠いものでした。しかし、その短い時間の中にも、次から次へと出来事が展開されていき、あれよあれよというまに、有罪の判決へと押し流されて行ってしまいます。

 今までにも何度もお話しましたが、歴史の進展というものは、一見、人間の強引な立ち回りによって引きずられているように見えます。しかし、そのことが深いところで神の御手の内にあると言うことをいつも意識しながらこの福音書の記事を読まなければなりません。きょうお読みしようとしている個所も、一見すると、事はユダヤ人指導者たちの計画通りに運んでいるように見えます。しかし、その後にユダヤ人たちが味わわなければならなかった歴史も含めてみるときに、実は、彼らが予測していた方向とはまったく違った方向へと民族の歴史は流れ、神の救いの業が、イエス・キリストがおっしゃっていたように実現して行く様子が分かります。

 それでは早速今日の聖書の個所をお読みしましょう。きょうの聖書の個所は新約聖書 ヨハネによる福音書 18章38後半〜40節までです。新共同訳聖書でお読みいたします。

 ピラトは、こう言ってからもう一度、ユダヤ人たちの前に出て来て言った。「わたしはあの男に何の罪も見いだせない。ところで、過越祭にはだれか一人をあなたたちに釈放するのが慣例になっている。あのユダヤ人の王を釈放してほしいか。」すると、彼らは、「その男ではない。バラバを」と大声で言い返した。バラバは強盗であった。

 ピラトがどこまでイエスの裁判を善意をもって行おうとしていたのか、福音書の記事を読んだだけではちょっと分からない部分がたくさんあります。もともと、ピラトと言う人はローマからユダヤの総督として遣わされてきた時から、ユダヤ人の感情をさかなでることをたくさんしてきた人物として知られています。この、イエス・キリストの受難記事の中に出てくる以外に、福音書がピラトについて記しているのは、ルカによる福音書に二ヶ所あるだけです。そのうちの一箇所、ルカによる福音書13章1節に「ピラトがガリラヤ人の血を彼らのいけにえに混ぜた」という事件が報告されています。ピラトの残虐な性格をよく伝えています。このほかにも、聖書以外の歴史書が記すところによれば、総督に着任した早々にエルサレムの神殿内にローマ軍の旗を持ちこんで、ユダヤ人の激しい抵抗にあったことが知られています。また、神殿の献金を水道工事の費用に当てようとしたり、いろいろとユダヤ人の感情を害することをしてきた人だったようです。

 そういうピラトのやり方から考えて、今回の裁判をまともに取り上げようとしないのも、あるいはひょっとして、ユダヤ人の指導者たちに対する嫌がらせであったのかもしれません。確かに、ピラトにとっては、イエス・キリストの潔白さを是が非でも守らなければならない理由は何もなかったはずです。

 しかし、それにしても、ピラトは自分の気持ちがどうであれ、イエスの潔白をあかしするという、重要な役目を負わされることになります。この裁判記事の中で、ピラトの口を通して、何度も何度も、イエス・キリストが無罪であるということが語られます。

 「わたしはあの男に何の罪も見いだせない。」

 ピラトにはイエス・キリストがまことの王であるという本質を見分ける力がありませんでした。また、そのような事柄に関心のある人ではなかったようです。しかし、ユダヤ人たちが訴え出たこの一人の男に罪がないということを指摘する上では、誤りのない判断を持っていたようです。

 さて、そこで、ピラトは、長年の慣例に従って、過越の祭りの際に誰か一人の囚人を釈放することになっていることに、人々の注意を喚起します。この慣例にしたがって、イエスを釈放することが出来れば、このわずらわしい事件にかかわらなくても良いと考えたのかもしれません。ところが、この提案にユダヤ人の指導者たちは、イエスではなくバラバを釈放するようにと大声を張り上げます。

 マタイによる福音書によれば、このバラバの名前もイエスと呼ばれていたようです。同じイエスが釈放されるのなら、バラバ・イエスをと叫んだのでしょう。このバラバは強盗であったとヨハネ福音書は記しています。

 ここで、言われている「強盗」という言葉には、実は特別な意味がありました。それは、ただ暴行や脅迫によって物を奪う人のことではありません。福音書が書かれるよりももう少し後の時代に書かれた、ヨセフスのユダヤ戦記やユダヤ古代史の中では、「強盗」という言葉は、熱心党の人々を指す用語でした。つまり、神の国の樹立を目指して、暴力でローマの支配を覆そうとしていた人々です。他の福音書がバラバについて記している個所では「このバラバは、都に起こった暴動と殺人のかどで投獄されていたのである」(ルカ23章19節)と述べられています。これは、紛れもなくローマ支配転覆を狙った暴動事件の主犯者だったのです。つまり、強盗のバラバというのは、ローマの支配に抵抗し、武力で支配の転覆を企てたテロリストと言っても良いでしょう。

 この強盗のバラバを釈放するように、ユダヤ人たちは願ったのです。それは、非常に矛盾した要求でした。何故なら、ユダヤ人指導者たちは、イエス・キリストこそ自分が王である事を自称して、ローマの支配にたてつく者であるということを訴え出ておきながら、その一方では、本物の暴動の先導者であるバラバを釈放するように要求しているのです。ここには、もはや、目的達成のためには、節操さえも失ってしまったユダヤ人指導者の醜い姿が描き出されています。

 ところで、先ほどの「強盗」という言葉は、ヨハネ福音書の中では、もう一つ重要な意味がありました。10章1節でイエス・キリストは「羊の囲いに入るのに、門を通らないでほかの所を乗り越えて来る者は、盗人であり、強盗である」とおっしゃっています。そして、さらに「盗人が来るのは、盗んだり、屠ったり、滅ぼしたりするためにほかならない。わたしが来たのは、羊が命を受けるため、しかも豊かに受けるためである。」と言葉を続けていらっしゃいます(ヨハネ10:10)。

 ユダヤ人たちは、悲しいことに、命を与えるお方を捨てて、屠ったり滅ぼしたりするに過ぎない強盗の方を選んでしまったのです。実際、その後のユダヤ人たちの歴史は、この熱心党の暴動に翻弄されて、ついには自分たちの神殿さえも失う結果になってしまいました。

 そもそもユダヤ人たちがイエスを殺害しようと計画をしたのは、イエスの人気が高まるにつれ「ローマ人が来て、我々の神殿も国民も滅ぼしてしまうだろう」(ヨハネ11章48節)ということを恐れたからでした。しかし、彼らのなした選択は、結局は命の君であるまことの救い主を失い、自分たちの平和をも失うという最悪の結果を招いてしまいました。