2018年2月8日(木) これと思う人々を(マルコ3:13-19)

 ご機嫌いかがですか。日本キリスト改革派教会がお送りする「聖書を開こう」の時間です。今週もご一緒に聖書のみことばを味わいましょう。この時間は、日本キリスト改革派教会牧師の山下正雄が担当いたします。どうぞよろしくお願いします。

 キリストの弟子と言えば、12人いることは比較的よく知られているかもしれません。十二弟子あるいは十二使徒とも呼ばれることから、何人いたかは覚えやすいかもしれません。そして、12という数は、イスラエルの部族が12あったという旧約聖書の記述からきているであろうということは、すぐに想像がつくと思います。

 では、その12人とは、具体的に誰か、ということになると、12人の名前を正確に言える人はクリスチャンの中でも少ないかもしれません。ペトロは何かにつけよく登場するので、よく知られているでしょう。そして、キリストを裏切ったユダの名前も比較的よく知られています。しかし、タダイがどんな人かと聞かれれば、名前すら記憶にないという返事が返ってくるかもしれません。何しろタダイが登場するのは、きょうこれからお読みしようとしているマルコ福音書の箇所と、その並行記事であるマタイ福音書に、たったの2回しか登場しない人物だからです。

 それでは早速今日の聖書の個所をお読みしましょう。きょうの聖書の個所は新約聖書 マルコによる福音書 3章13節〜19節までです。新共同訳聖書でお読みいたします。

 イエスが山に登って、これと思う人々を呼び寄せられると、彼らはそばに集まって来た。そこで、12人を任命し、使徒と名付けられた。彼らを自分のそばに置くため、また、派遣して宣教させ、悪霊を追い出す権能を持たせるためであった。こうして12人を任命された。シモンにはペトロという名を付けられた。ゼベダイの子ヤコブとヤコブの兄弟ヨハネ、この2人にはボアネルゲス、すなわち、「雷の子ら」という名を付けられた。アンデレ、フィリポ、バルトロマイ、マタイ、トマス、アルファイの子ヤコブ、タダイ、熱心党のシモン、それに、イスカリオテのユダ。このユダがイエスを裏切ったのである。

 さて、きょうは12人の弟子たちをイエスが特別に組織された次第を記した個所からご一緒に学びたいと思います。

 マルコ福音書のこれまでの学びで明らかになったことは、イエス・キリストの名声がガリラヤ地方ばかりではなく、はるか遠くの地方にまで及ぶようになったと言うこと、また、それに伴って、敵対する人々もイエスを殺してしまおうと思うほどに対立の姿勢を極めていったと言うことです。

 そういった流れを背景に、イエス・キリストは12人の弟子たちを特別にお選びになりなりました。神の国を宣べ伝えるイエスの宣教活動も、ここへ来て新しい段階に入ったと言うことができます。

 イエスは山に登り、これと思う人々を呼び寄せられました。場面はガリラヤ湖の湖畔から山に移ります。人里離れた山で、イエスは弟子団をお作りになりました。ルカによる福音書には、弟子をお選びになる前に、山へ行って祈られたキリストの姿が描かれています(ルカ6:12)。

 その弟子の数は12名とあります。この12という数には特別な意味がありました。後にイエスを裏切るユダが弟子団から抜けて欠員が生じたとき、弟子たちはその欠けた人数を埋めるために新たに一人を選んでわざわざ補充したほどです(使徒言行録1:15以下)。つまり、この数は11になってもよいと言うような適当な数字ではなかったのです。

 また、キリストは彼ら12人に「使徒」という名前を与えましたが、マルコ福音書の中で彼らが「使徒」と呼ばれるのは、こことそれから6章30節だけです。新しくできた弟子団をまとめて呼ぶときには、「12人」という呼び方のほうがはるかに多く出てきます(3:14; 4:10; 6:7; 9:35; 10:32; 11:11; 14:10, 20, 43)。それくらい12という数には特別な意味がこめられていたのです。

 そもそも12という数は、神の民であるイスラエルの部族の数でした。イエスが12人という数をお選びになったのにも、この神の民であるイスラエルの12部族のことが念頭にあったのでしょう。新しいイスラエル、まことの神の民を形作ろうとする意図がそこには表れています(ルカ22:30参照)。

 さて、イエスが12人の弟子たちをお選びになったのには二つの明確な目的がありました。その一つは「彼らをご自分のそばに置くため」でした。ご自分の手元において、彼らを訓練するためです。新約聖書が書かれたギリシャ語で「弟子」を意味する「マテーテース」という単語は「学ぶ」を意味する「マンタノー」という言葉から来ています。つまり、「弟子」とは先生からいろいろ学ぶ者なのです。イエスは12人をご自分のそばにおいて、ご自分から学ばせ、将来の務めに備えさせようとなさったのです。キリストから身近に学ぶことを通して、弟子としてふさわしい訓練を受けることができるのです。どれだけキリストから学ぶことができたのかということが、弟子としてのふさわしい成長を左右します。師であるキリストに似るくらいに、彼らはキリストのそばで学ぶ機会を与えられました。

 12人の弟子を特別に選んだもう一つの目的は、彼らを遣わすためでした。ただ単にキリストから学んでキリストに似た者となるばかりが、彼らを選んだ目的ではありませんでした。この12人が遣わされてこそ、大きな使命を果たすことができます。

 さきほど、イエスが彼らに「使徒」という称号を与えられたことをお話しましたが、「使徒」とはもともと「遣わされた者」という意味のギリシャ語から来ています。12人の働きは遣わされたときにこそ、本来の意味を成し遂げることができるのです。

 具体的にこの12人が遣わされる様子は、6章の7節以下に記されています。しかし、イエス・キリストが復活されてからは、もっと広い地域へと神の国の福音が宣べ伝えられていきます。その様子は「使徒言行録」に記されているとおりです。

 では、具体的にどんな人たちが、その12人に選ばれたのでしょうか。マルコ福音書は12人の名前を記しています。特にその中で、すでに1章のところで登場した漁師のシモンには「ペトロ」、つまり「岩」というニックネームが与えられたことが記されています。残念ながらマルコ福音書にはなぜシモンが岩と呼ばれるようになったのか詳しくは記されていません。

 もう2人、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネにはボアネルゲス、「雷の子」というあだ名がつけられました。雷のような激しい性格だったのでしょうか。そういう人も弟子に加えられていたのです。

 さらに、イエスの弟子の中にはもう一人のシモンもいました。岩のシモン、シモン・ペトロと区別して、こちらは熱心党のシモンと呼ばれています。熱心党というのは最も過激な国粋主義的なグループでしたから、そういう人物がイエスの弟子として選ばれたのは不思議な感じがします。

 そして、もっとも不思議なのは裏切り者と呼ばれるイスカリオテのユダも弟子として選ばれていたと言うことです。

 ここから、教会の中にも脱落者が必ずいるという結論を導き出すべきではありません。まして、自分はひょっとしたらユダかもしれないという空想を描いてもいけません。

 ただ、主イエス・キリストは実に様々な背景を持った人たちを、これと思って選び出し訓練されたということです。この恵みに目を止めたいと思います。


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