2007年10月24日(水)この岩とは何ですか? ハンドルネーム まいんさん

いかがお過ごしでいらっしゃいますか。キリスト改革派教会提供あすへの窓。水曜日のこの時間はBOX190、ラジオを聴いてくださるあなたから寄せられたご質問にお答えするコーナーです。お相手はキリスト改革派教会牧師の山下正雄です。どうぞよろしくお願いします。

それでは早速きょうのご質問を取り上げたいと思います。今週はハンドルネーム・まいんさんからのご質問です。お便りをご紹介します。

「山下先生、いつも番組を聞かせていただいています。
早速ですが、わたしの疑問にお答えいただけたらと思います。
それはマタイ福音書に出てくるイエス様の言葉についてです。イエス・キリストは『あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる』とおっしゃったとあります。『この岩』とはどの岩のことでしょうか。ペトロ自身のことを指して『この岩」とおっしゃったのでしょうか。その意味を教えてください。よろしくお願いします。」

まいんさん、お便りありがとうございました。まいんさんがご質問してくださったのは、有名なペトロの信仰告白に続いてイエス・キリストがおっしゃった言葉です。
マタイによる福音書16章13節以下で、イエス・キリストは弟子たちに「人々は、人の子のことを何者だと言っているか」とお尋ねになったことがありました。弟子たちがそれに答えて人々の考えを述べると、今度は「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか」と弟子たちの考えをお尋ねになったのです。
このイエス・キリストの質問に真っ先にペトロが答えてこう言いました。

「あなたはメシア、生ける神の子です」

これが有名なペトロのキリスト告白です。人々がイエス・キリストについて「洗礼者ヨハネの甦りだ」「いや、エリヤだ」「エレミヤだ」「預言者の一人だ」と噂しているのに対して、弟子のペトロだけがイエスを「メシア、また神の子」であると告白したのです。それで、この箇所は「ペトロの信仰告白」として後々大変よく知られた話となりました。

さて、ここまでは若干の言葉遣いの違いは別として、マルコ福音書にもルカ福音書にも記されている有名な出来事です。しかし、マタイによる福音書だけがそれに続くエピソードを記しているのです。このペトロの信仰告白を受けてイエス・キリストはこうおっしゃったとあります。

「シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ。わたしも言っておく。あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない」

このイエス・キリストの言葉が、きょうのご質問に出てきた言葉そのものです。

さて、まいんさんもすでにご存じかもしれませんが、ペトロという名前は「岩」を意味するギリシャ語の「ペトラ」という単語に由来しています。「ペトロ」はギリシャ語の名前ですが、それに相当するアラム語の名前は「ケファ」といいました。ヨハネによる福音書1章42節によればイエス・キリストはこうおっしゃったとあります。

「あなたはヨハネの子シモンであるが、ケファ…『岩』という意味…と呼ぶことにする」

つまり、ペトロの本当の名前はシモンですが、イエス・キリストが「岩」という名前で彼を呼ぶことにしたということがそこには書き記されているわけです。それで新約聖書の中ではヨハネの子シモンのことを「ペトロ」とギリシャ語名で呼んだり、「ケファ」とアラム語語名で呼んだりしているのです。

さて、話を問題の箇所に戻しますが、現在わたしたちに伝えられている福音書はギリシャ語で書かれています。しかし、もし、イエス・キリストがアラム語でお話になっていたとすれば、その箇所はこんな感じに聞こえるはずです。

「あなたはケファ。わたしはこのケファの上にわたしの教会を建てる」

この場合、人名としての「ケファ」と「岩」という名詞の「ケファ」は同じ発音の単語になるわけですから、完全にここでは言葉遊びになっているわけです。

「あなたは岩だ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる」とおっしゃっているとも取れるわけです。

いずれにしてもイエス様がおっしゃる「ケファの上に教会を建てる」という場合の「ケファ」が、ヨハネの子シモンのあだ名である「ケファ」と無関係ではないことは確かです。しかし、ヨハネの子シモンであるケファの上に教会を建てるという意味だとしても、文字通りの意味でペトロが人柱の土台となって、その上に教会という建物が建つという意味でないことは明らかであると思われます。この場合の教会は建物ではなく、神の民の共同体というような意味でしょう。では、その場合、神の民の共同体はどんな意味で岩の上にたつのでしょうか。教会が文字通りの建物を指すのでないとすれば、岩も文字通りの意味ではなく、何かの比喩であることはすぐに察知がつきます。その場合、ケファとはシモンであるケファ自身ではなくケファの何かについて、それを「岩」と呼んでいるのだろうと思われます。もしケファ個人を指してこのケファの上に教会を建てるとおっしゃったのだとすれば、それは非常に危うい土台の上に建てられた教会ということになってしまいます。なぜなら、このすぐ後でペトロはイエス・キリストから「サタンよ、退け」といわれてしまいますし、また、キリストが捕らえられたときには三度も知らないとキリストのことを否認してしまいます。

そこで、もう一度、ペトロとキリストとのやり取りを読み直してみると、イエス・キリストの言葉はペトロの信仰告白…「イエスをメシア、神の子」とする信仰告白に対して発言されたものであることが分かります。

すでに引用しましたが、ヨハネの子シモンがケファと呼ばれるようになったのは信仰告白のときよりもずっと前のことです。しかも、なぜシモンがケファ(岩)と呼ばれるようになったのかは何の説明もありません。それは頑固さのためだったかもしれません。あるいは、将来のこの告白を見越してであったかもしれません。ただ、この告白の場面で再びイエス・キリストがヨハネの子シモンのことを「ケファ」と呼んだのには、信仰告白と無関係ではなく、むしろ信仰告白を受けての発言であるように思われます。

しかし、それでもただ単に「ケファの上に教会を建てる」とはケファが告白した「信仰告白の上に教会を建てる」という意味ではないでしょう。イエス・キリストは「シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ」とおっしゃっています。つまり、ペトロの告白はペトロが人間的に思いついたことではなく、正に天の啓示だったというのです。教会とはこの天から啓示を岩として、その上にたつものなのです。ケファが岩であるのは、天からの啓示に応答している限りにおいてなのです。
ですから、この直後で天からの啓示に反してキリストを諌めるときに「サタンよ、退け」と言われてしまうのです。