2007年12月12日(水)讃美歌について 北海道 ハンドルネームHiroさん

いかがお過ごしでいらっしゃいますか。キリスト改革派教会提供あすへの窓。水曜日のこの時間はBOX190、ラジオを聴いてくださるあなたから寄せられたご質問にお答えするコーナーです。お相手はキリスト改革派教会牧師の山下正雄です。どうぞよろしくお願いします。

それでは早速きょうのご質問を取り上げたいと思います。今週は北海にお住まいのHiroさん、女性の方からのご質問です。SNSぱじゃぱじゃのコミュニティ掲示板に寄せられたご質問です。

「私の通う教会では礼拝で日本キリスト教団出版の「讃美歌」を用いています。私は讃美するとき、ふと楽譜の上にある小さな文字を見てしまいます。例えば67番 真ん中には31の神、左にCome, Thou Almighty King Anonymous,c1757、右には TRINTY (ITARIAN HYMN) Felice de Giardini,1769と書かれています。右側はトリニティですから三位一体、翻訳前の原詩なのかなと想像するのですが凡例を読んでも記述がないようです。
また、他にも聖歌などメロディーは同じなのに歌詞の内容が全く違うこともありますね。讃美とは神を誉め称える、祈り、交わりと私なりに解釈していますが讃美についてもう少し詳しく教えていただけたらと思いました。」

Hiroさん、いつも番組を聴いてくださってありがとうございます。讃美歌についてのご質問、ありがとうございました。先ず初めに簡単なところからお答えしたいと思いますが、日本キリスト教団出版の「讃美歌」の各頁の上、左右に記されている文字ですが、右側が曲名と作曲者または編曲者、場合によっては曲の出典、左側が元歌の出だしと作詞者が記されています。先ほどの讃美歌67番の例でいうと、Come, Thou Almighty Kingというのが英語の歌詞の歌いだしの部分で、Anonymousとありますから作者は不詳です。また、この歌の曲名はTRINITYまたはITALIAN HYMNで、作曲者はイタリア人のFelice de Giardiniと言う人です。
それぞれの讃美歌に曲名がついているというのは意外なことかもしれません。おそらく日本のクリスチャンにTRINTYという曲名を告げてもすぐにメロディーを思い出せる人はほとんどいないと思ます。

さて、神を賛美する歌の歴史は、言うまでもなく旧約聖書の時代にさかのぼることができます。それらの歌の代表的なものは旧約聖書詩編の中に収められていますので、それを読めば具体的な内容を知ることができます。ただ、残念ながら、どんなメロディーで歌われたのかは今となっては知ることができません。また、神を賛美する歌は、エルサレムの神殿での儀式を中心に発展していきますので、それに伴って聖歌隊や数々の楽器の使用も見られるようになります。
では、キリスト教会での讃美歌の発展はどのようであったかというと、まず、福音書には一度だけ、イエスが弟子たちと共に賛美の歌を歌ったことが記されています。最後の晩餐の後、「一同は賛美の歌を歌ってから、オリーブ山に出かけた」とあります(マルコ14:26)。この場合の賛美の歌というのは、過越の祭りの食事のときに歌われるハレルヤ詩編であったと考えられています。そういう意味では、キリスト教独自の賛美というものは、キリスト復活のあと生まれてきたと考える事ができます。
初代教会の様子について使徒言行録には印象的な報告がなされていますが、そこには「(信者たちは)神を賛美していたので、民衆全体から好意を寄せられた」(2:47)と記されています。曲を伴った歌によって神を賛美していたのか、ただ言葉によって神を賛美していたのかは定かではありませんが、ただ言葉だけによる賛美であったとしても、そこから後の讃美歌の歌詞が生まれでたであろうことは十分に想像できると思います。
同じ使徒言行録16章25節には、フィリピで捉えられたパウロとシラスが夜中に獄中で賛美の歌を歌っていたと記されています。もちろん、それがキリスト教独自の賛美歌であったのか、ユダヤ教から引き継がれた賛美歌であったのかは定かではありませんが、いずれにしてクリスチャンたちにも神を賛美する歌を歌う習慣があったことを示す有力な証拠です。

またパウロはコリントの教会に宛てた手紙の中でこう記しています。

「あなたがたは集まったとき、それぞれ詩編の歌をうたい、教え、啓示を語り、異言を語り、それを解釈するのですが、すべてはあなたがたを造り上げるためにすべきです。」(1コリント14:26)

霊的な賜物に関して混乱状態にあったコリントの教会に宛てられた手紙ですので、この状態がすべてのキリスト教会に共通しているとはいえませんが、それでも当時の教会の集会で詩編を歌うことが行なわれていたことがうかがわれます。

エフェソの信徒への手紙には賛美に関して有名な言葉が記されています。

「詩編と賛歌と霊的な歌によって語り合い、主に向かって心からほめ歌いなさい」(5:19)

ここにで神への賛美の歌が「詩編と賛歌と霊的な歌」と三つに分類されている点で注目に値します。実際にこの三つがどのような分類であるのかは残念ながら明らかではありません。しかし、神への賛美がこのようにより豊かな内容で意識されるようになったという点で見逃せない証言です。

しかし、このエフェソの箇所が証言しているのは、賛美の豊かさと言う面ばかりではありません。「詩編と賛歌と霊的な歌によって語り合い」という面白い表現を用いている点でも注目に値します。歌であればふつうは「語り合う」のではなく「歌いあう」とか「歌い交わす」というべきでしょう。しかし、ここでは「詩編と賛歌と霊的な歌によって語り合う」ことがすすめられているのです。実はコロサイの信徒への手紙の中にもこれと似たような表現が出てきます。

「キリストの言葉があなたがたの内に豊かに宿るようにしなさい。知恵を尽くして互いに教え、諭し合い、詩編と賛歌と霊的な歌により、感謝して心から神をほめたたえなさい。」(3:16)

翻訳の問題もありますが、この勧めの言葉は、エフェソの手紙に出てくる言葉と同じように「詩編と賛歌と霊的な歌により、知恵を尽くして互いに教え、諭し合う」ことを勧めているのかもしれません。

つまり、いいかえれば、賛美歌はただ単に神をほめたたえるという役割だけではなく、賛美の歌を歌うことで、互いに教え、諭し合うほどの内容を持った歌であったと言うことです。そのようにしてキリストの言葉が内に豊かに宿るようになるほどの力を持った歌であると言うことができるのです。

讃美歌が豊かになるということは、言い換えれば、それを歌う信徒が霊的にも信仰的にも成熟していくということに繋がってくるのです。

新約聖書の中には古代のキリスト教賛美歌の一節ではないかと思われている箇所があります。その一つを紹介して結びとしたいと思います。フィリピの信徒への手紙2章6節以下です。

「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました。こうして、天上のもの、地上のもの、地下のものがすべて、イエスの御名にひざまずき、すべての舌が、「イエス・キリストは主である」と公に宣べて、父である神をたたえるのです。」