2008年10月1日(水)嘘は絶対にいけないのでしょうか ハンドルネーム・さかなさん

いかがお過ごしでいらっしゃいますか。キリスト改革派教会提供あすへの窓。水曜日のこの時間はBOX190、ラジオを聴いてくださるあなたから寄せられたご質問にお答えするコーナーです。お相手はキリスト改革派教会牧師の山下正雄です。どうぞよろしくお願いします。

それでは早速きょうのご質問を取り上げたいと思います。今週はハンドルネーム・さかなさんからのご質問です。お便りをご紹介します。

「山下先生、こんにちは。さかなと申します。いつも番組を聴いています。
さて、先生に質問ですが、嘘は絶対についてはいけないものなのでしょうか。もちろん、悪意のある嘘や、嘘をついた結果、相手に損害が及ぶような嘘は絶対についてはいけないと思います。
しかし、いつも本当のことを言うことだけが、正しいとはかぎらないのではないでしょうか。相手のことを思って、あえて本当のことを言わないことだってあってもよいと思うのです。
たとえば、不治の病で余命が一ヶ月であると医者が告げた言葉を、本人にそのまま伝えてよいのかどうか、必ず本当のことをそのまま伝えることが良いことかどうか、他にも違った対応の仕方があっても良いと思うのです。
あるいは、本当は悪い子であっても、本人がやる気を出して頑張れるように『君はほんとうはいい子なんだから…』と言ってやることは、必ずしも悪いことではないはずです。
そういう意味では、お世辞もリップサービスも人間関係の潤滑油として、あってもよいと思います。
それでも、クリスチャンは嘘をつかないようにお世辞の一つも言わないことがもとめられているのでしょうか。キリスト教ではそのあたりのことをどう教えているのでしょうか。よろしくお願いします。」

さかなさん、メールありがとうございました。「嘘」について取り上げるのは、これで3回目ぐらいになるのではないかと思います。ふくいんのなみのホームページでは、過去の番組の原稿を全部検索できますので、ぜひ、検索して探してみてください。トップページに検索の窓がありますので、漢字またはカタカナで「ウソ」(嘘)と検索すると、すぐに確かめることができるはずです。

さて、嘘について過去にも他の方たちから何度かご質問いただいたということは、きっと誰もが嘘について思い当たるところがある証拠だと思います。もちろん、ご質問を寄せてくださった方たちは、誰一人として「嘘はいいものだ」とは思っていらっしゃらない方たちです。もし、そう思うのであれば、質問にすらならなかっただろうと思います。
嘘はいけないものだと分かっていても、やむをえないような状況の中でどうすべきなのか葛藤して苦しい思いをしたからこそ、今回のようなご質問が出てくるのだと思います。

さて、以前にも「嘘」について取り上げたときに話したかもしれませんが、そもそも「嘘」とは何か、そのことをまず明らかにしておく必要があると思います。その点を明らかにしておけば、問題の半分は解決するように思います。

まずは「嘘」と「間違い」…これは似ているようで違っています。「嘘」も「間違い」も、大抵の場合は、事実や真実とは異なっています。ただし、「嘘」の場合には、言っていることが間違いではない場合もあります。
つまり、嘘というのは、客観的な真実と照らし合わせて正しいか間違っているかという問題ではなくて、話している本人が、自分の話が真実でないということを自覚しているかどうか、ということが問題なのです。
話がややこしいので具体的な例を挙げると、例えば、Aさんがあるお菓子を買ったとします。Aさんはそのお菓子が地域限定の珍しいお菓子だと思って、Bさんに、「このお菓子はここでしか手に入らない珍しいお菓子だ」と言ったとします。ところが実際にはそのお菓子が全国どこでも売っているとしたらどうでしょうか。Aさんは嘘をついたことになるのでしょうか。そうではありません。Aさんは自分が正しいと思ったことを言ったのですから、嘘をついたわけではありません。思っていたことと事実が違っていただけです。
こういった類のことは、単なる間違いですから、「嘘をついてはいけない」という聖書の教えに違反したことにはなりません。

もう一つ、「本当のことを言わないで、黙っている」ということと「嘘」とは、必ずしも同じことではありません。あることがらについてノーコメントの立場をとり続けることは、たとえそれが結果として本当のことを発表する機会を失ったとしても、それは「嘘」とは言わないのです。「嘘」というのは、自分が真実と思うこととは異なることをわざと積極的に発表することです。
ですから、たとえば病気についての真実を黙っていたり、出生の秘密について話さないことがあったとしても、それを「嘘つき」として非難することはできないのです。特に職業上知ったことがらについて、その秘密を守らなければならない立場の人もいますが、その人たちが本当のことを言わないからといって、嘘つきとはならないのです。

さて、ご質問に戻りますが、ご質問の中に出てきたような不治の病について、真実を本人に告げることだけが正しいありかたではないのではないか、という問いかけは、まったくそのとおりだと思います。先ほども言いましたが、真実を告げないということは、嘘をついているのとは違いますから、その点に関してだけ言えば、真実を告げないとしても聖書の教えに違反しているとはいえないでしょう。ただ、不治の病を本人に告知すべきかどうかという問題は、また別の議論であることは言うまでもありません。そして、その告知の問題を「嘘」をついてもよいかどうかという倫理の問題と絡めて議論することはあまり実りのあることとは思えません。
事実を告げるにしても告げないにしても、どちらの立場を考えるにしても、その根本にあるものは相手への「愛」以外の何ものも動機としてはならないと思うのです。真実を述べることは正しいことだから、何でも言うべきだという考えも、また、真実を言わないことは必ずしも嘘にはならないから、あえて告知をしないという考えも、そこに相手への愛がなければまったく空しい議論です。自分を正当化するための議論であるならば、どっちの結論も益するところがあるとは思えません。

さて、最後にお世辞やリップサービスの問題ですが、これは程度の問題だと思います。大抵のお世辞やリップサービスは言われている本人もそれであることがわかるものです。分かっていても、そういわれることが嬉しいと思うのが人間関係の潤滑油であるゆえんです。適度なお世辞やリップサービスは嘘と分かるからこそ、嘘ではなくなるのです。
相手が本気にしてしまうようなお世辞やリップサービスはかえって人間関係を悪くしてしまう結果にもならないとはいえません。そのような度を越えたお世辞やリップサービスは人間の信頼関係を損ねる点で嘘以外の何ものでもないのです。