2010年3月24日(水) 貧乏人と金持ちは神様が? 山口県 N・Iさん
いかがお過ごしでいらっしゃいますか。キリスト改革派教会がお送りするBOX190。ラジオを聴いてくださるあなたから寄せられたご質問にお答えするコーナーです。お相手はキリスト改革派教会牧師の山下正雄です。どうぞよろしくお願いします。

それでは早速きょうのご質問を取り上げたいと思います。今週は山口県にお住まいのN・Iさん、女性の方からのご質問です。携帯メールでいただいた短いご質問です。

「貧乏人と金持ちは神様が作ったのですか? 貧乏人に作られたら損します!」

N・Iさん、メールありがとうございました。とても短いご質問ですが、この短い言葉の背景にある様々なことを、メールの画面を眺めながら思いめぐらせてしまいました。

N・Iさんはどうしてこのご質問が心の中を占めるようになったのでしょうか。まず、そんなことを思いました。

「貧乏人に作られたら損します!」という言葉がすべてを語っているようにも思いました。少なくとも自分がお金持ちだと思っている人は、この世の中に貧乏人と金持ちがいることに、あまり関心がないように思います。そもそも、そういう区別があることに思い至る機会がほとんどないようにも思います。
おそらく、大半の人はお金がないことで苦労した経験から、なぜ、世の中にはお金持ちと貧乏人がいるのだろう、と思い巡らせるようになるのではないでしょうか。苦労の経験が大きいほど、強く疑問を抱くような気がいたします。

もっとも、大金持ちは決してそのような疑問を抱くことがないかといえば、そうとは言いきれないことも知っています。仏教を開いたお釈迦様は裕福な王家の出身でしたが、人生について深い洞察を持っていました。フランシスコ修道会を始めたアッシジの聖フランチェスカは、富裕な商人の子供でしたが、貧しくある道について深く考えた人でした。
しかし、そういう例外は別として、大半の人はお金の苦労を経験して、貧乏人とお金持ちについての疑問を考え始めるのではないかと思います。

きっとN・Iさんもそういう一人として、思い通りにならないお金のことで、そうした疑問を抱かれたのではないかと思いました。

わたしは長年BOX190の番組を担当してきましたが、大金持ちの人から、どうして神様は自分を大金持ちに造ったのか、というお便りをいただいたことがありません。思うに、大半の人は自分の経済的な豊かさに、神が深くかかわっているとは思っていないからでしょう。

しかし、逆の立場の人からは、どうして神様は自分を貧乏にしたのでしょうか、と逆の質問をよく受けます。自分がお金持ちなら、そのことを神のおかげだとは思わないのに、自分が貧乏だとそれを神のせいにするとは、人間とはずいぶん身勝手なことしか思わないものだ、としばしば思わされます。

クリスチャンとして長年生活をしてきた中で、N・Iさんは素朴な疑問として神様の御心がどこにあるのかをお考えになったのだと想像いたしました。今回のN・Iさんのご質問は、何が何でも都合の悪いことを神のせいにするつぶやきではないと、理解いたします。

さて、お金持ちと貧乏の問題に限らず、この世に起こるすべてのことを神の意志や業である、と考えることは、一見正しいようで、正しくないように思います。そもそも人間の限られた頭でそれを考え始めると、迷路に陥ってしまうと思うのです。
確かに、この世の中に起こることが、一つでも神にとって予想外のことがあるとしたら、そのような神は全知全能の神と呼べるのでしょうか。もし、そんな問いから論理を導いていくとすると、神が全知全能であるとすれば、この世の中に起こることはすべて、神がそうなることを知っていたと結論せざるを得なくなります。しかも、全能者である神はご自身の力をもってそれを変えることもできるのですから、それを変えないことは、そうなることが神の意志であると結論づけざるを得なくなります。従ってお金持ちと貧乏人は神の作品であると、まことしやかな結論につき進まざるを得なくなってしまうのだと思うのです。
人間の論理で理解できることは所詮そこまでのことなのです。うわべだけを考えれば、確かにその結論は正しいことのように思われてしまいます。さらに言えば、その論理が通用するならば、悪も罪も、すべてが神の御心と言わざるを得なくなってしまいます。

わたしは、こういうものの考え方は一度棄ててしまった方が良いのだと思います。一見論理的に見えても、結論がおかしいというのがその理由です。神が悪に積極的に加担しているという結論に至るのであるとすれば、やはり、その論理や前提のどこかに問題があるのです。そして、残念ながら、人間にはそれをどううまく説明できるのか、限界があるのです。わたしはそのように考えています。

わたし自身は貧富の差ついて、このように考えることにしています。

神の深い御心と御計画の全貌をわたしはすべて知りつくすことはできません。ただ、わたしに言えることは、人間の経済活動の結果、貧富の差が生まれてしまうことは、ほとんど避けて通ることができないということです。
もちろん、不正な経済活動の結果生まれる貧富の差を見過ごすことはできません。そのような不正や搾取によって生まれる貧富の差を仕方のないことだというつもりは全くありません。
また、怠惰から生じる貧富の差があることも知っています。経済活動では、怠惰な者が利益を失うのは当然の法則と思われています。怠惰の結果生じた貧富の差を、金持ちが貧乏人を搾取した結果だと問題をすり替えるつもりもありません。
しかし、公正で勤勉な経済活動をしたとしても、偶然とも思える出来事やめぐりあわせ、また、その人が持っている才能の違いで経済的な格差が生じることは避けられないということです。

では、真の問題がどこにあるのかといえば、経済的な格差が生じること自体にではなく、生じた経済的な格差をどう社会全体に還元していくかということにかかっているのだと思うのです。そして、それこそが人間に与えられている課題であり、その課題を果たすことが人間に課せられた責任であるとわたしは考えています。

お便りの中に「貧乏人に作られたら損です!」とありました。そういう不満が生まれる社会は健全な社会だとは思えません。経済の格差を完全になくすことはできないとしても、「貧乏であることが損だ」という思いを抱かないですむ社会を作ることは必要なことだと思います。
ただ、現実問題として、人間がこの課題を果たせないのには、理由があります。それは聖書がいう罪の問題です。それはお金持ちだけが罪深いからではありません。人間すべてが罪の影響をまぬかれていないからです。

ご質問に対する結論を言うとすれば、貧富の格差から生じる不公平は、神が造り出したものではありません。課せられた課題と責任を人間が果たしていないことこそ、問題なのだということです。

それは政治の問題だけではありません。一人一人の人間の心の問題も深くかかわっているということです。その問題を脇へ置いて、すべてを神のせいにしているのだとすれば、それこそ無責任な生き方でしかありません。