2011年1月19日(水) イエスの母、マリアのその後は? 熊本県 K・Iさん

 いかがお過ごしでいらっしゃいますか。キリスト改革派教会がお送りするBOX190。ラジオを聴いてくださるあなたから寄せられたご質問にお答えするコーナーです。お相手はキリスト改革派教会牧師の山下正雄です。どうぞよろしくお願いします。

 それでは早速きょうのご質問を取り上げたいと思います。今週は熊本県にお住まいのK・Iさん、男性の方からのご質問です。お便りをご紹介します。

 「山下先生、こんにちは。いつも楽しく聴かせてもらっています。
 さて、ルカによる福音書ですが、この書において、イエスの様々な行動がしるされていますね。そこで、イエスの母であるマリアは、いったいどういう歴史をたどったのでしょうか。よろしければ教えてもらえないでしょうか。」

 K・Iさん、いつも番組を聴いてくださってありがとうございます。確かに、ルカ福音書に限らず、他の福音書にも、イエス・キリストのことは詳しく記されていますが、その母親であるマリアのその後のことは、ほとんど記されていません。いったいどういう生涯を過ごされたのでしょうか、K・Iさんに限らず、興味と関心を持たれる方が多いのではないでしょうか。

 そこで、聖書だけの情報から、どこまでを知ることができるのか、そこから見てみたいと思います。
 それぞれの福音書が記している、イエスの母マリアの最後の姿は次の通りです。

 まずは、マタイによる福音書。この福音書がイエス・キリストの母マリアについて記している最後の記事は、13章55節で、イエス・キリストの教えと御業に驚く人々の言葉の中に出てきます。

 「この人は、このような知恵と奇跡を行う力をどこから得たのだろう。この人は大工の息子ではないか。母親はマリアといい、兄弟はヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダではないか。姉妹たちは皆、我々と一緒に住んでいるではないか。この人はこんなことをすべて、いったいどこから得たのだろう。」(マタイ13:54-56)

 ここでは、人々の口を通して間接的に名前が語られるマリアです。イエスの母親や兄弟姉妹のことは出てくるのに、父親であるヨセフの名前が出てこないのは不思議な気がします。

 これはあくまでもうわさ好きの村人たちの言葉ですから、そこから何かの真実を読み取ること自体が難しいかもしれません。読み方によっては、ナザレの人々はイエスをマリアの子であるとは認めていたものの、ヨセフの子ではないと信じていた、とも読めなくはありません。

 あるいは、このときすでにヨセフは世を去っていたのかもしれません。ルカによる福音書によれば、イエス・キリストが洗礼者ヨハネから洗礼を受けたのがおよそ30歳の時でした(ルカ3:23)。とすれば、その時点で父親のヨセフは40代後半から50歳ぐらいということになります。ものの本によれば当時の平均寿命が30歳代であったと言われますから、ヨセフが50代までに世を去っていたとしても、決して若くして亡くなったとは言えないでしょう。
 それと合わせて、マタイによる福音書12章46節でも、イエスに面会にやってきたのは、イエスの母親と兄弟たちだけで、父親についての言及がないことから、ヨセフはこの時すでにいなかったのではないかと考える人もいます。

 もちろん、これは想像にすぎませんが、そうであるとするならば、マリアはこのときすでに未亡人となっていたということが言えるかもしれません。

 もっとも、ヨセフの名前は出てきませんが、「大工の子」という言い方で、イエスの父親に言及しているわけですから、この個所だけから、この時マリアが未亡人であったかどうか、判断するのは難しいように思います。

 さて、マルコによる福音書の場合もマタイ福音書と変わるところがありません。同じ場面を記した6章3節が、イエスの母マリアについて記した最後の個所です。

 ルカによる福音書に関しては、もっと早い時期に母マリアについての言及が消えてしまいます。母マリアと兄弟たちがイエスに会いにやってきたことを記す8章19節を最後に、登場しなくなります。
 もっとも、ルカによる福音書と使徒言行録とは同じ著者による本ですから、使徒言行録も含めて考えなければなりません。それについては、ヨハネによる福音書を見てから触れたいと思います。

 ヨハネによる福音書は、福音書の中ではもっとも遅い時期まで、母マリアについて書きしるしています。
 十字架につけられる息子を見守る母マリアの姿がヨハネによる福音書19章25節以下に記されています。そして、19章27節によれば、イエスの弟子の一人がイエスの母マリアを自分の家に引き取ったとあります。

 さて、福音書に記されたイエスの母マリアは、弟子の一人に引き取られているのですが、ルカ福音書の下巻とも言うべき使徒言行録には、イエス・キリストの復活と昇天の後、エルサレムで祈りながら過ごす初代教会のメンバーの中にイエスの母マリアがいたことが記されています(使徒1:14)

 残念ながら新約聖書が記すイエスの母マリアの最後の記事は、この祈りの集団の中にいるマリアの姿が最後です。その後どういう暮らしを送ったのか、新約聖書はそれ以上のことを語ってはいません。

 ある人たちはヨハネの手紙二の1節に出てくる「選ばれた婦人」をマリアのことだとしますが、確固とした証拠があるわけではありません。

 では、聖書以外にイエスの母マリアについての記事はあるのでしょうか。残念ながら、イエスの母マリアに対する歴史的な関心と興味はそれほど強くはなかったようです。むしろ、神の母としてのマリアに対する崇敬の念の方がだんだんと大きくなっていったと言った方がよいでしょう。歴史上の人物としてのマリアについては聖書が語る以上のことをたどることはできませんが、マリアに対する人々の崇敬の念がマリアに対する信仰とへと変わっていった歴史をたどることは、ある程度できるかもしれません。

 少なくともローマのカタコンベには、礼拝のために用いたと思われるマリアの画像が残っていると言われています。四世紀にはマリアが永遠に処女であったとする説が唱えられるようになり、マリアを「神の母」と呼ぶような習慣も五世紀には定着します。

 そして、また聖伝と呼ばれる教会に古くから伝わる伝承によれば、マリアは体のまま昇天したとされています。そして、エフェソの近くにはマリアが昇天するまで過ごしたとされる家がありますが、それが歴史的に信憑性のあるものかどうかは疑わしいと言わざるを得ません。ヨハネ福音書の記事から、マリアがイエスの愛する弟子に引き取られたこと、また後の教父たちが使徒ヨハネがエフェソで過ごしたことなどを記していることなどから、マリアがエフェソで亡くなったという伝説が生まれたのではないかと思われます。