2006年12月3日(日)目を覚まして待つ

おはようございます。山下正雄です。

きょうからキリスト教の暦ではアドヴェントに入ります。そして、キリスト教会の暦ではアドヴェントから新しい年が始まるのです。
アドヴェントというのはあまり聞きなれない言葉かもしれません。日本語では待降節と訳されます。キリストの降誕を待つ準備期間です。クリスマスを迎える準備の期間と言ってもよいでしょう。クリスマスに先立つ四つの日曜日をアドヴェントの主の日として数えます。きょうがそのアドヴェントの最初の主の日です。

ところで、アドヴェントという言葉の由来はラテン語のアドヴェニオーという単語にあります。「来臨する」「やって来る」という意味です。この場合、やって来るのはイエス・キリストです。神の御子であるキリストが、人となってこの世にやってくることを覚える期間、それがアドヴェントです。
けれども、イエス・キリストは弟子たちに、世の終わりの時にご自分がもう一度やって来ることを約束なさいました。キリストの再臨の約束がそれです。この再臨のことを英語ではセンカンド・アドヴェントと呼んでいます。つまり、キリストの降誕を最初のアドヴェントと呼ぶのに対して、キリストの再臨は二度目にやってくることですから、セカンド・アドヴェントと呼ばれるのです。

実は、このクリスマス前の四週間をアドヴェントの期間として過ごすのは、ただ、過去に起った歴史を回顧するためだけではないのです。むしろ、やがてこの地上に再びきてくださるイエス・キリストを覚えるためでもあるのです。クリスチャンのアドヴェントの過ごし方は、ただ過去の出来事を振り返って過ごすだけではありません。将来の希望に目を注ぎ、現在の生き方を整えるのです。
そこで、アドヴェントの最初の日曜日には、しばしばキリストがご自分の再臨を予告してくださった聖書の言葉から朗読されます。今年はルカによる福音書の21章25節から36節が多くの教会で朗読されることになっています。そこには世の終わりの時に起るべきことが様々記されています。キリストの一連の言葉の出だしは不安を誘います。なす術を知らずに不安になったり、何が起るかと怯えたり、恐ろしさのあまり気を失うほどだとさえおっしゃるのです。しかし、キリストの言葉のトーンは最後まで不安を煽るものではありません。不安な時代を迎える中に、希望の光が見えてくるのです。

イエス・キリストはおっしゃいます。
「このようなことが起こり始めたら、身を起こして頭を上げなさい。あなたがたの解放の時が近いからだ」(ルカ21:28)
キリストは罪と悲惨との影に覆われた世界に終わりをもたらしてくださいます。キリストはわたしたちに解放の時を告げてくださるのです。だからこそ、不安な時代にあっても頭を挙げ、心を真っ直ぐ神に向けることができるのです。

そして、キリストは世の終わりの時代に向かって進んでいるわたしたちを励まして、こうおっしゃいます。
「あなたがたは、起ころうとしているこれらすべてのことから逃れて、人の子の前に立つことができるように、いつも目を覚まして祈りなさい。」
第二のアドヴェント、キリストの再臨の日へと向かうわたしたちに大切なことはいつも目を覚まして祈っていることなのです。きょうから待降節を迎えるわたしたちも、世の終わりの時にいらっしゃるキリストを心待ちにして、目を覚まして祈っていましょう。