2006年12月31日(日)神の愛は永遠

おはようございます。山下正雄です。

一年も早いものできょうで最後の一日です。あなたにとってこの一年はどんな一年だったでしょうか。番組を聴いてくださるお一人お一人のことを思い浮かべます。とても楽しい一年だったと幸せいっぱいの方もいらっしゃるかもしれません。反対に苦しいことつらいことの多かった、そんな一年を送ってこられた方もいらっしゃるでしょう。この一年がどんな一年であったとしても、新しい年へと心を一歩踏み出すことが出来ますようにとお祈りしています。

さて、旧約聖書の詩編136編にこう歌われています。
「恵み深い主に感謝せよ。 慈しみはとこしえに。
 神の中の神に感謝せよ。 慈しみはとこしえに。
 主の中の主に感謝せよ。 慈しみはとこしえに。」

「感謝せよ」という言葉が三度繰り返されています。同じように、その感謝の理由を述べて、「慈しみはとこしえに」という言葉も三度繰り返されています。神の慈しみが途絶えることなく永遠に続くがゆえに、感謝せよというのです。

「慈しみ」と訳された言葉は聖書の世界に独特の言葉です。ヘブライ語では「ヘセド」という言葉が使われています。この言葉は「慈しみ」と訳されたり、「恵み」と訳されたりします。場合によっては「愛」という言葉がふさわしいときもあります。
この言葉の本来の意味についてはいろいろと議論があるようです。実はそれほどに深みのある言葉なのです。ある人はこの言葉の背景には神と人間との間の契約関係があるといいます。約束に基づいた「恵み」や「慈しみ」なのです。そこには「誠実」という含みもあります。約束に誠実であるからこそ、裏切ることなくいつくしみが続くのです。

神と人間との関係を一番よく描いているのは旧約聖書の歴史です。そこに描かれるのは、いつも神の側からの誠実さです。約束を守らない人間に対し、変わることなく人への関心を示し続ける神の姿です。神の怒りでさえ、それは人をこよなく愛する神の関心の表れなのです。
その神の慈しみがとこしえであるので、「感謝せよ」とこの詩編は歌います。
しかし、ちょっと考えてみると、人間は永遠の昔から永遠の未来までを知っているわけではありません。とこしえの愛やとこしえの慈しみについて語ったとしても、それは頭の中の世界だけかもしれません。しかし、それでも、この詩編の作者は「その慈しみはとこしえに」と言ってはばかりません。知りうる限りの歴史を振り返り、そこに神の恵み深さを読み取っているのです。今まで誠実でい続けてくださった神を信頼しているのです。いってみれば、それはいつも誠実でいてくださる神への信仰の告白でもあるのです。

実際のところ、この詩編をつぶさに読みすすめてみると、そこには民族が体験した苦しみも見え隠れしています。365日がすべて平穏であったわけではありません。しかし、平穏でなかったとしても、それでも、神の慈しみはとこしえであると信じてやまないのです。人間は不誠実で頼りにならないとしても、神はそうではないと信頼しているのです。

明日から新しい年が始まろうとしています。この新しい年の希望はどこからうまれるのでしょう。それは、とこしえにわたしたちへの関心を示してくださり、恵みを注いでくださる神にあるのです。このとこしえの神の慈しみに依り頼むとき、新しい年も希望をもって歩むことが出来るのです。