2007年6月10日(日)神の愛に囲まれて

おはようございます。山下正雄です。
聖書の言葉には希望と慰めがあります。聖書の言葉に馴染んでいればいるほど、時宜にかなった励ましを聖書からいただくことができます。
クリスチャンたちを励まし慰めてきた言葉ベスト10を挙げるとすれば、わたしは間違いなく次の言葉を挙げます。

「わたしは確信しています。死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです。」(ローマ8:38-39)

これはキリストの弟子であったパウロがローマの教会の信徒に書き送った手紙の一節です。このパウロほどキリストの弟子として不思議な人生を送った人はいません。生粋のユダヤ人であったパウロはユダヤ教の立場から新しく興ったキリスト教を迫害する人物でした。ところが180度その道を変えて、誰よりもキリスト教を熱心に伝える伝道者となったのです。その生涯は決して楽なものではありませんでした。彼自身、手紙の中でこう記しています。

「ユダヤ人から40に一つ足りない鞭を受けたことが5度。鞭で打たれたことが3度、石を投げつけられたことが1度、難船したことが3度。一昼夜海上に漂ったこともありました。しばしば旅をし、川の難、盗賊の難、同胞からの難、異邦人からの難、町での難、荒れ野での難、海上の難、偽の兄弟たちからの難に遭い、苦労し、骨折って、しばしば眠らずに過ごし、飢え渇き、しばしば食べずにおり、寒さに凍え、裸でいたこともありました」(2コリント]11:24-27)

キリスト教に敵対する者たちから受ける苦しみはまだ我慢のしがいがあるかもしれません。勇気をもって耐えることができるかもしれません。しかし、パウロは教会の人たちからも誤解され、中傷されることもあったのです。
「(パウロの)手紙は重々しく力強いが、実際に会ってみると弱々しい人で、話もつまらない」
そんな酷いことを言う者たちもいたのです(2コリント10:10)。

その上、パウロには人には知れない重い障害がありました。パウロはそれをサタンの刺と呼んでいます。その刺があるためにパウロはどれほど苦しんだことでしょうか。何度となくその刺を取り去って欲しいと神に願ったのです。しかし、その願いは聞き挙げてもらえませんでした。
しかし、それでもパウロは弱さの中にある自分を支えてくださる神を心から信頼していたのです。その信頼の大きさを言い表した言葉が、先ほど引用した言葉です。
「わたしは確信しています。死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです。」

死さえも、キリストのうちに現われた神の愛から自分を引き離すことができないという確信があったのです。現在はもとより、遠い未来、知ることのできない将来もなお、神の愛に囲まれていることを信じているのです。
パウロにとっても、そしてキリストを信じる者にとっても、一番の慰めと励ましは、この神の愛がわたしたちと共にいつでもどこでもあると言うことなのです。