2007年8月12日(日)あなたは高価で貴い

おはようございます。山下正雄です。
聖書の言葉で戸惑いを覚える言葉ベストテンを挙げるとすれば、預言者イザヤの次の言葉は間違いなくその中に入ると思います。

「わたしの目にあなたは価高く、貴く わたしはあなたを愛し あなたの身代わりとして人を与え 国々をあなたの魂の代わりとする」(43:4)

時代と共に人々が好んで引用する聖書の言葉にも多少の変化があるように思いますが、今お読みした聖書の箇所はこの10年ほどの間に、色々なところで引用されるのを目にしています。また、わたし自身も何度となく引用したことがあります。

しかし、この言葉を初めて耳にして、すぐに自分のこととして受けとめることが出来る人はそう多くはありません。もちろん、この言葉全体の書き出しが「ヤコブよ」という呼びかけで始まっていますから、それを自分のことと受け止めるのは変だということもあるでしょう。けれども、ここで呼びかけられている「ヤコブ」がヤコブ個人を指しているのではなく、ヤコブを祖とするイスラエル民族全体を指していて、それは結局のところ神の民であるクリスチャン全員にあてはまるのだと説明されても、それでもすんなりとは受け容れがたいことでしょう。
もちろん、謙虚さを身につけている人であれば「あなたは価高く、貴い」と言われれば言われるほど、とんでもないことと感じて、自分の足りなさや欠点を並べ立てることでしょう。

しかし、それらのうちのどれにも当てはまらない理由で、この言葉に戸惑いを覚える人たちもいます。それは自分のことをほんとうに価値のない人間だとしか思えない人たちです。いえ、そう自分のことを思わざるを得ないような扱いを受けてきて、そうとしか自分を思えない人たちです。
この10年ほどの間に、この言葉が数多く引用されてきた理由は、正にそれが大きな理由の一つであるように思います。自分が大切な存在であると感じることができない人があまりにも多くなってきているからです。それほど、一人の人が人としての尊厳さを大切にされなくなっている時代だということかもしれません。
そうであればこそ、「あなたは価高く、貴い」という言葉はこの時代に生きる人にこそ聞いていただきたい言葉なのです。

実は、ここで呼びかけられているイスラエル民族は、行いという点に関して言えば、お世辞にも貴いとは言いがたいかもしれません。しかし、神がイスラエルを価高く貴いとおっしゃるのは、イスラエルが神の愛の対象であるからです。何かができるから、自分にとって都合がいいから、という理由で価高く貴いわけではないのです。不思議に思われるかもしれませんが、ほんとうの愛とはそういうものなのです。神の愛がその対象を価高く貴いものにしているのです。
人間の価値や貴さがただ仕事に対する能力だけで評価される時代には、「価高く、貴い」という評価をもらえる人はごく一部の人に限られています。その評価をもらえない人にとっては、自分を価値のないつまらない人間としか思わざるを得ないのです。
しかし、神の評価はそうではないのです。神が愛する対象であるからこそ、価値があり貴いのです。そして、この神の愛によって自分の価値と貴さを見出した者だけが、他の人々の価値を高める愛に生きることができるのです。