2007年10月14日(日)神は覚えていらっしゃる

おはようございます。山下正雄です。
聖書の中で慰めに満ちた言葉を挙げるとすれば、次の言葉はベストテンの中に入るだろうと思います。ルカによる福音書の12章6節7節の言葉です。

「五羽の雀が二アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、神がお忘れになるようなことはない。それどころか、あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。恐れるな。あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかにまさっている」

誰からも関心を注がれないということは、人間にとってとても辛いことです。関心を注がれない人は生きている実感をなくしてしまいます。誰も自分のことを覚えていないとすれば自分がこの世にいることの意味をどうして確信することができるでしょうか。いてもいなくても同じなら、生きる気力さえ失ってしまいます。
もっとも自分が元気に生きているときは、誰かしら自分に関心を抱いてくれるものです。しかし、自分が衰えたとき、自分が社会の交わりから遠のいたとき、誰も自分を覚えてくれないのではないかという不安な気持ちになるものです。
しかし、イエス・キリストはおっしゃいます。人は関心を注がないことがあっても神は違うのです。
「五羽の雀が二アサリオン」とは随分価値のない雀です。一羽では値段のつけようがないのです。あなたは100円の価値があるといわれれば、随分安く見積もられたと腹を立てるでしょう。しかし、あなたが5人いればなんとか200円ぐらいは出してもよいといわれれば、もっと安っぽい人間です。そんな安く見積もられたものに、誰が関心を注ぐでしょうか。しかし、神はそのように売られている雀にも関心を注いでいらっしゃるのです。いえ、そればかりではありません。何本あるか分からない髪の毛の一本にさえ、心を配ってくださっているのです。
イエス・キリストはおっしゃいます。

「恐れるな。あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかにまさっている」

実はこの話は誰からも関心を注がれない孤独な人へ向けられた言葉ではありません。この言葉の直前でキリストはこうおっしゃっています。

「体を殺しても、その後、それ以上何もできない者どもを恐れてはならない。」

やがてキリストの弟子たちはキリストを信じているというだけで、価値のない雀のように命を奪われてしまう迫害に会うかもしれません。そういう時代がすぐにもやってくることを見越して、キリストはこの言葉をおっしゃったのです。そのとき誰からも覚えられず虫けらのように命を奪われると思ってはならないのです。人は自分を価値ないもののように扱っても、神は一人一人を覚えていらっしゃるのです。
キリストを信じて従うときに、家族との摩擦、社会での葛藤、さまざまな困難や苦しみを避けて通ることはできません。しかし、そのときにも、人を恐れてはいけないのです。それにもまさる神の愛と深い配慮を信じて歩むことが大切なのです。
神を信じて歩むということは、自分を価値のないもののように扱う人々を恐れて歩むことではありません。自分に関心を注ぎ、髪の毛一本さえも大切に思ってくださる神に目を留め、神に心を注いで歩むことなのです。そのときにこそ、どんな試練の中に遭っても、言い知れぬ平安が心を守ってくれるのです。