2009年1月11日(日)幼な子のような心で

おはようございます。南与力町教会の山村早苗です。
よく天使のような寝顔の赤ちゃんとか、子供のように清らかな心とかいう表現がありますね。確かに意地悪な赤ちゃんとか悪意に満ちた幼児なんて聞いたことはありません。けれども、幼児だってお気に入りのおもちゃは友達に取られたくないという自我はしっかりともっています。本当に天使のようだったら全てをお友達にあげてしまうでしょうから。

人より自分の方が得をしたいという気持ちはみんなが幼い頃からもっている心にしみついた罪の一つではないでしょうか。私達は成長と共に良いことも悪いこともたくさん経験し、知恵を身に着けていきます。大人になる頃には頭の中はたくさんの知識や情報でいっぱいです。
現代の私達をとりまく情報の量は計り知れないほど膨大ですね。インターネットで行き交う情報は正しいものも誤っているものも区別なく、人々の目にどんどん飛び込んできます。便利になった反面、情報に追われ流され自分自身を見失う危険性もあります。

この前まで普通の女の子だったのに急に人気が出てテレビに毎日のように登場し、日本中に顔も名前も知れ渡るということが起こります。以前ある人気タレントの方が友達と仲良く食事をしているとき、ふいに「この人は私がタレントだから仲良くしてくれているのではないか?」という思いにとらわれ、とても悲しくなって家に帰って号泣したと話していました。いっそ何も無かった時代の方が幸せだったかもしれません。

ところであなたは神様を信じますか?なんとなく信じている人はけっこういらっしゃいますし、また信じない根拠を理論的に述べられる方もいらっしゃいます。宗教はいろいろありますし、反論も数多く存在します。神様を証明できないのと同じように神様はいないということも証明できません。
聖書には人の心に神様の聖霊が送られてきたとき「神様、お父様!」と呼ぶ心が与えられると書かれています。「神の霊によって導かれるものは皆神の子なのです。」とも書かれています。聖霊は目には見えませんが、いつも私達を導き助けてくださいます。今あなたがこの放送をお聞きになっていらっしゃる事の上にも神様は働きかけてくださっているのです。そのお導きを心のどこかで感じたときどうすればよいのでしょうか。
今まで蓄えた知識を総動員してこれはいったいどういうことなのか?どうするのが得かしらと考える方もいらっしゃるでしょう。しかし、いくら考えてもはっきりとは答えが出せないと思います。人間の知識は神様からみれば子供のようなものです。尽きない悩みの中に身を置くよりも、全てを神であられるイエスさまに委ねて歩んでいくのがいちばん心安らかなのではないでしょうか。

最後に私の好きな聖書の御言葉をご紹介したいと思います。
ルカによる福音書18章より
イエスは言われた。「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。」