2009年2月1日(日)教会に行ってみよう

おはようございます。山下正雄です。
わたしがはじめてキリスト教会に自分から足を運んだのは16歳のときでした。聖書を読んだのがきっかけで、一度は教会に行ってみようと思ったからです。

平日の午後、他にだれもいないような時間に行きました。あいにく教会のドアが閉まっていて、それを開いて入るのにはよほどの勇気がいるように思えました。どうしようかと迷いました。躊躇しながら建物の周りをとりあえず一周してみました。一周ぐるりと回ってみましたが、やはり閉ざされているドアのノブに手をかけるのにはそうとう勇気が要りました。
そんなこんなで、その日は教会に行くのを諦めて、その教会の近くに住む宣教師の家を訪ねることにしました。後で分かったのですが、その宣教師はさっきの教会で働く宣教師でした。それで、結局は次の日曜日に先ほどの教会の礼拝に顔を出す事になったのです。
今になって当時を振り返ってみると、躊躇する自分の姿はまったく滑稽としか言いようがありません。けれども、今、当時の気持ちを思い出してみると、やはりキリスト教会とは入りにくいところだなぁと思います。
今でこそ日曜日ごとに教会で礼拝を守るのが当たり前になっている自分ですが、教会に行ったことのない人にとっては、やはり今でも敷居の高い場所に思われているのでしょうね。

もう随分前のことになりますが、クリスマスイブの礼拝のことを話していたら、「それはだれが行ってもいいのですか」と聞かれたことがあります。聞かれたこちらがびっくりしてしまいました。クリスマスほどよく知られた事柄でも、場所が教会となると閉ざされた世界の話になってしまうようです。
クリスマスに限らず、どの集まりにもだれが来ても大歓迎です。ラジオでこの番組を今聞いているあなたも、ぜひ今日は教会に顔を出してみてください。あと3時間ほどで、大抵の教会は礼拝が始まります。きっと初めてのあなたを歓迎してくれるはずです。

ところで、初めての場所というのは、教会に限らず緊張するものです。ましてキリスト教会の厳かな礼拝の雰囲気の中では余計に緊張してしまうかもしれません。それは仕方のないことです。むしろ、初めてなのですから右も左も分からなくてどこが悪いと居直ってください。
牧師先生が講壇から語る話もチンプンカンプンであるかもしれません。けれども、そんな中でして欲しいことがあります。そこに集まっている人たちの様子を観察してみてください。そこに集まっている人たちは特別な人たちではないはずです。どこにでもいる普通の人たちです。ただ、違っているのはこの時間に一つの場所に集まって、賛美歌を歌ったり、祈りをささげたり、牧師の話に耳を傾けたりしていることです。この不思議な人たちをじっくり眺めてみてください。そして、この人たちをこの場所にひきつけているものが何なのか、いろいろと思いめぐらせてみてください。
考えてもみれば、教会ほど多種多様な人たちが集まっている場所はそう多くはありません。何らかの利害関係があって集まっているというのでもないのです。血縁関係があるわけでもないのに、お互いに兄弟姉妹であるかのように振る舞っているのです。

聖書には教会についてこんなことが書かれています。
「教会はキリストの体であり、すべてにおいてすべてを満たしている方の満ちておられる場です。」(エフェソ1:23)
ぜひあなたもこの満ち溢れる場に来てくださって、何かを感じ取ってください。