2009年5月31日(日)今、ここで、永遠の命にあずかる

おはようございます。芸陽教会の上田喜郎です。今朝も、わたしたちの救い主、イエス・キリストのみ言葉に耳を傾けつつ、人生の救いにあずかりましょう。

先日、病院へ入院された方のお見舞いに行きました。すると、待合室で待っている人の中に、痛みを訴えながら待っている人や、傷の痛みを訴えている人をお見受けしました。また、自分の残された人生の短さをうれいながら、毎日、泣き続けいている人もいると聞きます。多くの人々が他人に言えない心の悩みや悲しみを持っておられます。また、中には自ら命を絶とうとする方もおられます。また、他人を傷つけ、命まで奪ってしまう事件も後を絶たないのは、本当に、悲しいことです。
しかしながら、わたしたちの救い主、イエス・キリストは、「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく、病人である」とおっしゃいました。痛みを覚え、心の悩みや悲しみを持っている人に対して、「わたしに従って来なさい」と、イエス・キリストは、救いの手をわたしたちに差し伸べておられます。

また、イエス・キリストは「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。」と言われます。
私たちの周りには、いろいろの道があります。広い道があり、狭い道、大きい道、小さい道、そして、行き止まりの道や、曲がりくねった道もあります。私たちの人生の道も、ちょうど、このいろいろの道のようです。

最近、多くの事件、事故が毎日のように伝えられていますが、先日も、修学旅行中の高校生が遠い中国の地で、列車転覆事故に遭ったことが伝えられていました。見知らぬ土地で多くの方々が犠牲となり、けがをしました。とても悲惨な事故でした。この事故で犠牲となった人の中に、熱心なクリスチャンがいました。その人はクリスチャン・ホームで、キリスト信仰をもつ家庭で、ご両親に育てられました。きっと、ご両親は、いつも、神さまに祈り、賛美をささげ、聖書の言葉に聞くことによって育てたことでしょう。ですから、このご両親には突然の事故のときにも、平安がありました。

イエス・キリストがおっしゃった「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。」とのみ言葉をもう一度、思い出して、考えてみますと、私たちはみな、一度、死ぬことを定められているのですから、まさに、死の道を歩もうとしていると言えます。
いえいえそうではなく、多くの人々は、死んでも、天国にみな入るのだから、みな等しく天国への道を歩んでいるのではないか、と思われるかもしれません。
しかしながら、聖書の教えは、イエス・キリストを罪人の救い主と心から信じる者だけが天国に導かれ、天国を住まいとする天国の市民とされると言っています。これは、死ぬということを正しく受け止めるためにも必要な教えです。なぜなら、死ぬことをまじめに受け止めるとき、わたしたちは、生きることにおいて、そして、天国に入るためにも、キリストの救いの必要であることを知るからです。

もちろん、神さまは、悪い人にも、良い人にも、すべての人に太陽の光を与えてくださり、雨を降らせてくださいます。そして、神さまは、悪い人にも、良い人にも、すべての人に分け隔てなく平等に良きものを与えてくださいます。
しかしながら、イエス・キリストはこのような祝福にあずかりながらも将来に対して思い煩いやすく、死ぬことを恐れやすいわたしたちに向かって、「自分の命のことで何を食べようか、何を飲もうかと、また、自分の体のことで、何を着ようかと思い悩むな。命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切ではないか。」とやさしく語りかけておられます。
神さまは、私たちすべての人に良いものを与えてくださっています。そして、ただ私たちは神さまのみ言葉を信じ、十字架にかけられたイエス・キリストをわたしたち罪人の救い主と信じる事によって、死ぬという不安を免れるだけでなく、将来に向かって希望をもつだけでなく、神さまと共に生きるという本当の幸いにあずかることができるのです。イエス・キリストがこの世に来られた目的は、罪人が救われて、永遠の命にあずかるためのなのです。そして、この救いをすべての人が必要としています。

天国に入るとは、この永遠の命にあずかることです。そして、この命は、死んでから与えられるものではなく、今、ここで、すでに、キリストを信じることによって与えられる神さまの恵みであり、救いです。

あなたも、どうぞ、キリストの救いのみ言葉に聞いてくださり、その救いにあずかることによって、天国の市民の一人となってください。そして、今から、死ぬことを恐れることなく、また、罪を悲しみつづけることなく、かえって、天の国を仰ぎ見る喜びと幸いを共にする、永遠の命にあずかってください。あなたの救いのために、心から祈っています。