2010年3月7日(日)わたしたちのバイブル

おはようございます。芸陽教会の宮武輝彦です。
聖書を英語ではバイブルと言いますが、しばしば聖書のように権威のある書物、必読書と言われるような書物もしばしばその分野のバイブルと呼ばれます。あなたは、今どのような本をお読みでしょうか。それは、あなたにとってまさにバイブルと言えるような大切な本でしょうか。

そもそも、聖書がどうして権威のある本であるかというと、それは天地を造られたまことの神の言葉であるからです。それでは、どうして聖書がまことの神の言葉であるかというと、それは聖書そのものと、本当にその言葉のとおりに起こった出来事がそのことを証明しているからです。新約聖書のテモテへの手紙二 3章16節には、「聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれている」とあります。このことは、決して、ある日突然聖書がまとめて天から地上に降ってきたのではなく、数千年の昔から神の霊の導きを受けた人々の手によって、神の救いの歴史の中で聖書が書かれてきたことを教え、物語っています。

今から3500年前に、モーセというイスラエルの人々をエジプトの苦難の中から約束の地、カナンに導いた指導者がいました。モーセは、シナイ山で十戒というとても大切な戒めの言葉を主なる神さまから直接いただきました。それは、二枚の石の板に刻まれた神の言葉そのものです(出エジプト記20章1‐17節)。そして、イエス・キリストが今から二千年前にお生まれになるまでの間、イザヤや、エレミヤなどの多くの預言者と言われる人たちも神の霊の導きによって、神の言葉を人々に伝えました。それは、モーセの十戒をわたしたちの心として、正しく生きることを求めるものでした。そして、わたしたちのために救い主がお生まれになるという約束の言葉を告げたのです。そして預言者の告げた言葉のとおり、イエス・キリストはこの世にお生まれになりました。そして、イエス・キリスト御自身、「聖書は、わたしについて証しをするもの」(ヨハネ5章39節)と言われました。つまり、聖書を知るとは、イエス・キリストご自身を知ることであると言われたのです。

イエス・キリストが十字架の死から復活されたとき、イエスさまご自身が聖書を説き明かしました。そして、ご自分が神さまの約束された救い主であることを二人の弟子に教えてくださいました(ルカ24章27節)。イエス・キリストが天に上られた後には、このようなこともありました。ある日、エチオピア人の役人がエルサレムの礼拝から帰る途中で、馬車に乗りながら預言者イザヤの書を読んでいました。すると、乗っていた馬車をイエス・キリストの弟子のフィリポが追いかけてきて、「読んでいることがお分かりになりますか」と尋ねられました。すると、エチオピア人の役人は、「手引きしてくれる人がなければ、どうして分かりましょう」と答え、フィリポの説き明かしを受けて、イザヤ書の言葉が十字架にかけられたイエス・キリストのことを伝えていることを知ったのです。そして、キリストの救いを信じて、洗礼を受けたのでした(使徒言行録8章38節)。

このように、聖書は神の霊の導きの下で書かれ、キリストの救いを証するものです。預言者たちが人々に伝えたとおりに、「救い主イエス・キリストが来られた」ことが伝えられ、イエス・キリストが十字架に死んでくださり、3日目に復活され、天に上げられたこと、そして、このキリストのもとに来る人々が救われたこと、そして、今もそのようにして救われることを聖書はたしかに約束しているのです。聖書はわたしたちをキリストの救いに導く、まことの神の言葉です。どうか、これからも神の言葉とその説き明かしを聞くたびごとに、あなたの心にイエス・キリストにおいて示された神の愛が注がれますように、心より祈っています。

「この書物は、キリスト・イエスへの信仰を通して救いに導く知恵をあなたに与えることができます。」テモテへの手紙二 3章15節。