2010年3月21日(日)わたしの家は、父の家

おはようございます。芸陽教会の宮武輝彦です。
今あなたには、心待ちにしている日があるでしょうか。今度社会人になる人は、むしろ社会に出る期待と不安の入り交じった心持ちであるかもしれません。また今度、学校などに入学する一年生の人たちは、とてもわくわくどきどきしながら、その日を待っているのかもしれません。

イエス・キリストも12歳になったとき、両親、ヨセフとマリア、また親類、知人たちとともに生まれてはじめて過ぎ越しの祭りのために、エルサレムに上って行かれました。そして、祭りの期間が終わって帰りの道についたとき、少年イエスはエルサレムに残っていましたが、ヨセフとマリアはそれに気づきませんでした。それは多くの家族、親類、知人の中にイエスも一緒にいると思っていたからでした。一日分の道のりを過ぎたところで、ヨセフとマリアはイエスがいないことに気づいて、親類、知人の間を捜し回りましたが見つからなかったので、捜しながらエルサレムに引き返しました。三日してから、イエスがエルサレムの神殿の境内で聖書をよく知っている学者たちの真ん中に座り、話を聞いたり質問したりしているのを見つけました。このとき聞いている人たちは、皆イエスの賢い受け答えに驚いていました。ヨセフとマリアはイエスを見て驚き、お母さんのマリアが言いました。「なぜこんなことをしてくれたのです。御覧なさい。お父さんもわたしも心配して捜していたのです。」すると、イエスはこう言われました。「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか」。しかしながら、このときヨセフとマリアにはイエスの言葉の意味が分かりませんでした。
イエス・キリストは、それからヨセフとマリアと一緒にエルサレムから下っていき、ナザレに帰って両親に仕えて暮らされました。
このことは、新約聖書のルカによる福音書2章に書かれている、エルサレム神殿に上られた少年イエスの様子です。少年イエスはただ物怖じしない子であったのではなく、「自分の父の家にいる」と言われたのでした。

イエス・キリストは30歳をすぎて、ガリラヤから「神の国は近づいた」と、喜ばしいおとずれ、福音を宣べ伝えはじめました。そして三年数カ月にわたって、多くの奇跡のわざをなさり、多くの教えを人々に語られました。そして子ろばに乗って、エルサレムに上って行かれました。このとき、弟子の群れはこぞって自分の見たあらゆる奇跡のことで喜び、声高らかに神を賛美し始めました。「主の名によって来られる方、王に、祝福があるように。天には平和、いと高きところには栄光。」と。
そして神殿の境内に入り、そこで祭りのためのいけにえを商いにし、神さまにささげる心をおろそかにしていた人たちを追い出して、「わたしの家は祈りの家でなくてはならない」と言われたのでした。

12歳のときに、父ヨセフと母マリアにわからなかった「わたしは父の家にいる」とは、イエス・キリストこそが、本当の神の愛する独り子であることを証しする言葉でした。イエス・キリストの日ごとの祈りは、いつも天の父に向かうものであり、それはわたしたちが神に近づく道を開くものでした。お祈りの結びの言葉はしばしば、イエス・キリストの御名によって祈ります、アーメンという言葉で閉じられます。この言葉がささげられる度ごとに、わたしたちは自分の本当の父はイエス・キリストをわたしたちのためにお与えくださった天の父であることを知り、わたしたちのお祈りの心は、本当に神さまにささげるものであること覚え直します。

「主よ、わたしの神よ 心を尽くしてあなたに感謝をささげ とこしえに御名を尊びます。」詩編86編12節。