2010年10月24日(日) 聖書の中の最も大切な掟

おはようございます。宿毛教会の酒井啓介です。
今朝は、聖書の中の最も大切な掟をお話しいたします。
聖書には、ファリサイ派とサドカイ派という聖書を土台にした二つ宗派が登場しまして、聖書に通じ熱心な信仰をもった聖書の専門家であったことは、その地方に住む人々誰もが認めるほどでした。聖書のことなら彼らが一番よく知っている、彼らにはかなわない、そう思われていたはずです。また、この二つの宗派の人々は、政治におきましても彼らの聖書に基づいた才能を活かし、実際に力を発揮していました。社会に十分認められ、社会の中心人物たちとして手腕を振るっていました。

さて、この二つの宗派の一方であるサドカイ派の人々が、イエス・キリストと議論をして負けてしまった時のことです。自分たちと同じ聖書の専門家が負けてしまったことを聞きつけた、もう一方の宗派のファリサイ派の人々は、一体何事かとわらわらと集まってきました。そして、集った彼らの内から一人、聖書の専門家の中でもさらにずば抜けた専門家が難問を用意しまして、イエス・キリストを試すために尋ねました。「聖書の中でどの掟が最も重要でしょうか。」(参:マタイ22章36節)
この質問は実は、超難問でありまして、彼ら自身もはっきりとした答えを出せなかったほどでした。聖書の掟を厳格に守るために、それをもとにして実生活に合った掟を彼らは作り出しましたが、だんだんその掟の数が多くなってきまして、そうなると、ある掟と別の掟がぶつかって、一体どちらの掟を守ったらよいか判断に困ることがありました。このことは、聖書を厳格に守ろうとした彼らにとって、大問題となっていました。

すると、さきほどの「聖書の中でどの掟が最も重要でしょうか。」という質問に対して、イエス・キリストがはっきりとお答えになりまして、「第一の掟は、これである。…『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』これが最も重要な第一の掟である。第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』」(マタイ22章37〜38節)とこのように言われました。つまり、第一は全身全霊で神を愛せ、第二は自分を愛するように人を愛せ、というのです。そして続けて、聖書全体はこの二つの掟に基づいているということをお答えになったのです。この二つの掟は、一セットで語られました。
聖書の専門家は、これらの答えを否定できませんでした。そこにいた人々の中には、政治家もいたことでしょう。政治家でしたら、物の一言でも言い返すものじゃないでしょうか。例えば、今テレビで国会での答弁の様子が放送されていますが、与党の言うことを野党が全く何も否定せずに引っ込んだ、という場面を私は見たことがありません。ところがです。このイエス・キリストの答えを誰も否定できなかったのです。一人、二人が否定できなかったのではなく、何人もの人が、しかも聖書の専門家たちが否定できませんでした。この事実を、私たちは誠実に受け止めることが大切ではないでしょうか。

第一の掟は、心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。神様を徹底的に重んじることです。自分たちの都合で神様の意志を軽んじないで、いつもどこまでも重んじるということです。また、キリスト教の神様は人を徹底的に重んじるよう命じており、第二の掟で、隣人を自分のように愛しなさいと命じられているわけです。
隣人とは自分以外の人です。自分のためなら私たちはいくらでも考えますし、時間を使います。人に対してもやはり同じ態度で接しなさいと言われるわけです。これらが、聖書の中の最も大切な掟であります。