2010年10月31日(日) 不思議な例え話

おはようございます。宿毛教会の酒井啓介です。
聖書には不思議な、またギョッと驚く言葉があります。
ある箇所で、イエス・キリストは、「不正にまみれた富で友達を作りなさい」(ルカ16章9節)と、お語りになりました。あぁ、私達の神様はこんな言葉を語ってしまったのか…と、かつて戸惑いが私の体を走り抜けました。しかし、この言葉の意味は聖書を丁寧によく読みますと分かるのでありまして、それをお話したいと思います。

イエス・キリストというお方は、大切なことを伝える時には、人を驚かせるような言い回しをしばしばなさいました。例えば、御自分のお母さんや兄弟を目の前にしながら、『私の母、私の兄弟とはだれか、それは神の言葉を聞いて行う人である。』(参:ルカ8:2)と語りました。おそらく彼らは驚いたことでしょう。神の言葉を聞いて行なうことの大切さを強調なさったのです。このような言いまわしは、キリストが「救い主」として特に大切なことを語るときになさいまして、同じように、キリストは「不正にまみれた富で友達を作りなさい」と同じような言い回しで語ったのでありましょう。

「不正にまみれた富で友達を作りなさい」という言葉は、あるお話の結論で語られておりまして、そのお話をここでする余裕はないのですが、ここで作るべき「友達」とは、危機的な状況から自分の命を救ってくれる友達として登場します。この友達は、地上の生も、死後の生も握っておられる神様のことを例えています。
そして、問題の言葉の「不正にまみれた富」という言葉は、当時天の富が真実な富であると理解されたのに対して、地上の富を不正な富と表現する、そういう慣用表現だったようです。
要するに、自分の命が本当の意味で守られるためには、今をどう生きたらよいのかを、特に生きている間に手にする地上の富やお金を、私たちの命を握っている神様が望まれる仕方で用いる大切さを語ったわけです。これがこの言葉の意味でした。ですから、決して、いわゆる悪事を働いて得たお金で悪友を作れという意味ではありません。常識を前提にした上でこういう表現をなさったわけです。

さて、イエス・キリストが、このお話しをなさった理由は、この世の富に振り回されて生きている人が当時もいたからです。何が大切なのか、いつ間にか心の目が暗くなっている人を気付かせようとしているのです。
人は、罪という神様から離れて生きる性質を帯びていると聖書では語られています。その罪が及ばないところはなく富やお金の用い方にも及びます。富は大切ですが、人が富の奴隷のように仕えてしまっては危険です。私たちはこの危険につい足を伸ばし、失ったものがあることを知っているのではないでしょうか。そして、最後のチャンスを逃し、自分の命を助けてくれる神様を失ってよいでしょうか。

今、私たちには、「不正にまみれた富で友達を作りなさい」、言い換えますと地上の富を正しく用いて自分の命を救ってくれる神様に助けてもらいなさい、というイエス・キリストの言葉が語りかけられています。
聖書は、「神と富とに仕えることはできない。」(ルカ16章13節)と語っていまして、神様に誠実に仕えるならば、神様があなたを守り、健全に富の束縛から解放してくださいます。富とは、用いるべき時に適切に用いればその効果を最大限に発揮します。聖書では、効果を最大限に発揮する方法を神様がご存知だと言われており、その最大限の効果とは、自分の命を神様によって守っていただくことです。